No.12 長崎は美味しい(1)

先日、長崎に2泊で出張しました。3日間の出張というのは飛行機やホテルの手配から始まって、パッキングまで、準備がけっこう大変です。出張に出るのですから、当然、夜は居酒屋へと思ってはいましたが、出かけるまであたふたしてしまい、そちらのほうは太田和彦氏の「居酒屋味酒覧」を適当にコピーして鞄に放り込みました。
往路の飛行機の中でコピーを取り出してみると、そこには長崎市内の居酒屋が5軒も取り上げられているではありませんか。いくらなんでも2晩で5軒を巡るのは難しい。

さて、大村市まで行って仕事を済ませ、長崎に5時半頃に戻ってきました。長崎は4度目ですので、街の感覚はつかめています。まずは思案橋あたりをうろうろしてみようかと迷いましたが、やはりせっかく長崎まで来たのですから、外れの店には入りたくないと思い、太田氏の薦めに従うことにしました。5軒のうち4軒が思案橋に集中していますが、一つだけ離れた場所にあります。『朱欒』(ザボン)という店です。いくつ回れるかわからないけれど、最初はその居酒屋へ行ってみることにしました。

長崎駅前から市電に乗って諏訪神社前で降りました。目の前に、長崎くんちで知られた有名な諏訪神社の立派な鳥居が見えます。それだけ見ても、神社の荘厳さが想像できます。チョッと寄ってみようかなと思いましたが、もう夕方でしたので酒を急ぐことにしました。
電車道を逸れて川伝いに進みましたが、地図の上ではもうそろそろだろうと思えるのにそれらしき店に出会いません。ふと向こう岸を見ると、植木のある少し大きな料亭のような建物があります。裏側からですが、あれが居酒屋であるはずがない、しかし、あそこしか考えられないなと思いながら橋を渡ってみます。橋の向こうの道路を挟んだ高台に、さらに立派というか豪壮な屋敷が現れました。それは卓袱料理で有名な富貴楼ではありませんか。入ったことはありませんが、何度か写真で見ていて、その楼閣は目に焼きついていました。しばし城壁のようにそそり立つ雄姿に見とれました。
川沿いに電車通りへ戻る道を歩いていくと、さきほどの料亭らしき建物の前に出ました。店先に釣瓶井戸があって小さい植え込みと花が生けてあり、居酒屋らしくない店構えです。やはり料亭かとやや落胆しましたが、よく見ると石灯篭に小さい字で『朱欒』とありました。

チョッと敷居が高いなとためらいましたが、格子戸を引きます。すると、「いらっしゃいませ」と言いながらきっぱりとした感じの細身の女性が出てきました。右側がカウンターで7席あり、反対側は子上がりになっていて座卓が3つあり、一番奥にはすでに客がいます。
店内はかなり変わっていて、まず居酒屋らしくありません。一言で言えば黒い木を使った民芸調で、どちらかというと喫茶店の雰囲気です。店内は、骨董の箪笥、芹沢圭介の作品、ガラスの電燈の傘、壁や棚を飾る数々の陶器やガラスの調度品などで整えられていて、それが店の空気を引き締めています。ややうるさく感じられなくもありませんが、カウンターに座ると妙に落ち着きます。たまにはこういうのもいい。

女将さんは六十路に差しかかろうかという感じですが、たいへんに愛想のいい人です。しかし差し出されたメニューを見てビックリです。値段が書いてありません。うむ、これはまずいところに入ってしまったなと一瞬思いましたが、この店構えでは仕方がないかと覚悟を決めました。それほど品数は多くはないけれど、どれも美味しそうで迷います。
まずはビールと刺身の盛り合わせを頼みました。料理を待つ間、ついきょろきょろ見回してしまいます。

ビールを持ってきた女将さんが注いでくれます。
「どこからいらしたんですか」「長崎は昨日まで天気が悪かったんですよ」「お薦めはざぼん揚げですよ。長崎で取れた魚を使ってすり身にした揚げ物です」と、こちらが黙っていても、とても自然に、心を解きほぐすように、気さくに話しかけてくれます。
刺身はたっぷりとした皿に、(もう忘れてしまったが)金目鯛、平目、しま鯵、〆鯖など5、6種類が美しく盛り付けられて出てきました。言うまでもなく、どれも新鮮で美味かったです。
刺身が食べ終わる頃、かなりのお年と思える老婦人が挨拶に現れました。女将さんの母親であるらしい、ということは大女将ということです。話し始めて間もなく、もうじき創業60年になると明かしてくれました。そうかぁ、ずいぶん歴史がある店なんだ。店に出るのが嬉しくてたまらないという顔つきでニコニコしています。

もちろん「ざぼん揚げ」も食べました。それから、鯛の白子焼。これが実に美味でした。料理が美味しく見えるのは器や道具にも凝っているからです。気取っているというよりは、しゃれているといったほうが適切でしょう。それだけ何でも丁寧なのです。これだけの店はそうざらにあるものではありません。そして、何といっても積み上げられた年月です。
女将さんの話によると、なんでもこの店では最後はカレーライスで締めるらしい。居酒屋で最後がカレーというのは何ともアンバランスな感じがしますが、そういわれるとつい食べて見たくもなります。しかし、今夜はここで終わるわけにはいきません。何としてももう一軒は行かなければなりませんので、このへんで失礼することにしました。

勘定の段になり、フッと値段のない品書きが頭を過ぎりました。しかし、それも杞憂に終わりました。差し出された手書きの札をみると、何と3,900 円とあります。一瞬、間違っているのではないかと思いましたが、何といっても値段が書いてなかったのだから、今更確かめようがありません。それにしても上等な店構えなのに、美味しくて安かった。


さて、ホテルに落ち着いて、荷物を解くと、気分も軽くなり、外へ出かけてみました。幸いホテルは長崎一の繁華街・思案橋のど真ん中です。車がやっとすれ違えるような狭い道をぶらぶら歩いていくと、すぐに思案橋横丁という飲食街に出合いました。確か、『居酒屋味酒覧』に載っている「桃若」という老舗のおでん屋がこの一角にあるはずです。探検家の気分でそこの路地に入ります。
ホルモン焼をはじめとして、居酒屋やバーの類の店、和洋中の小さな食堂が混然と並んでいます。どの店も歴史がありそうで、何とも昭和の懐かしさを覚える横丁です。まったく危ない感じはありません。一軒一軒覗きながら百メートルほど奥にはいった左側に、「おでん 桃若」とある赤提灯をみつけました。格子窓から柔らかな明かりが漏れています。入り口には縄のれんが下がっていて典型的な居酒屋の風情です。  
戸を開けると、店内はL字のカウンターとテーブル席があり、けっこう混んでいます。ご主人が人懐こそうな笑顔を向け、空いている席を案内してくれました。

店のつくりは小料理屋風で、おでん舟もどっしりと大きく、安っぽい感じはしません。
もうビールは飲めません。ここは九州の焼酎をロックでいただきます。
おでんを目の前にして、ネタを眺めながら頼みます。最初に「たこ」「「大根」「ふくろ」「はんぺん」など。薄味のおでんはネタがチョッと大振りです。フン・フン、しっかりと味がついています。どれも素材の新鮮さが伝わってきます。長崎ではおでんに和辛子のほか、柚子胡椒を付けて食べるのだそうです。これが悪くありません。病み付きになってしまいそう。

ご主人のほかに奥さんと息子さんらしき人がまめまめしく立ち働いています。
「関東は地震だけでなく原発問題もあって大変だねぇ。こっちは地震もなければ計画停電もなくて安心だが、それだけのんびりしてるといえばそうなんだがね。」とやや大きめな声で話しかけてきます。
話題を絶やしません。息子は息子で、動きながらもほかの客と楽しそうに話しています。女将さんも常連らしい人たちと話しこんでいます。なんともいえない陽気な雰囲気が店内を包んでいるのです。それに知らずに引き込まれています。客層もいいのかなぁ。
おでん以外にあるものといったら、新香、塩辛、それからご飯くらいか。「一年中おでんのみで、もう七十年、おでん一筋です」。息子さんが四代目だそうです。おでんだけでもこの店には客が寄ってくるのでしょう。

居心地の良さからか、酒は大して飲まなかったのに、けっこうたらふく食べてしまいました。おでんは別腹か?

"長崎は美味しそう"、また明日の夜が楽しみです。

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