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2011年9月

No.15 一見さんはつらいよ?

先日、外出の用事が早く済んだので、せっかくだからちょっと遠くへ足を延ばしてみたいという気になりました。
会社が終わってからですと、山手線より外の地域には、なかなか行けません。会社から小一時間かかるようなところだと、せっかくその居酒屋を目指していっても、到着するのがまさに客足のピークの7時頃になってしまい、満員で断られることがよくあるのです。簡単には出直せないと思うと、回転がよさそうな店のときには、並んでも待つことにしています。1時間近く待ってようやく席に着けたというところもありました。
居酒屋の開店時間は店によって違いますが、5時か、5時半頃には開きますので、6時頃ならば、予約がなくても、大抵はカウンターの席につくことができます。
だから、まだ空いている時間帯に居酒屋に辿り着ける外出先から直帰できる機会は貴重なのです。

私はそんなチャンスにウキウキしていました。国会議事堂前から地下鉄に乗って、渋谷の2つほど先の駅に降り立ちました。
目的の店は駅から五分ほど歩かなければなりません。駅前の商店街は帰宅途中の買い物客で混雑していて思うように進めません。6時に近くなっていて気分は少々焦っていました。地図を片手に夏の西日を浴びながら汗びっしょりになって、ようやく辿り着きました。
店は夏だというのに、扉も窓も開け放ってあります。中を覗くと客は一人もいません。ホッとした気分で暖簾をくぐりました。

主人らしき四十半ばの男性が下を向いて調理をしているらしい姿がカウンター越しに見えます。
「ひとりですが、カウンターに座っていいですか」と尋ねるも、すぐに返事が来ません。考えている様子だったが、ややあって、「今日は予約でいっぱいなんだ。すみません」とぶっきらぼうに言ったかと思うと、すぐにまた下を向いてしまいました。
予約でいっぱいと言ったって、まだ誰もいません。ここで怯んでなるものかと、「遠くから訪ねて来たんです。ちょっとの間でいいから飲ませてください」と懇願しました。冷ややかな沈黙があります。
もう一度、「ふらっと立ち寄ったというんじゃないんです。この店の評判を聞いて、是非一度と思って、電車に三十分乗ってやって来ました」と付け加えました。
このひとことが返って刺激してしまったのかもしれません。
「そういうのがこの頃多いんだよ。雑誌で見たとか、ネットで見つけたとかというやつらには困っちゃうんだ。どうせ一度しか来ないんだから」
怒っているような荒っぽい口調です。
見れば、店員が一人、隅の方でモジモジしています。あァ、これはだめだと思った瞬間、また言葉が返ってきました。
「一時間以内と約束してくれれば。一番奥に座って」
面倒くさそうな声だったが、雲行きは急変しました。この機を逃すまいと、「ありがとうございます」と神妙にして、さっさと席に着きました。

カウンターは6席、小上がりが2つの狭い店です。壁には所狭しと品書きが貼ってあります。少しゴチャゴチャしていますが、掃除が行き届いていて清潔感が漂っています。
カウンターの一段高い場所には焼酎の一升瓶が十本ほど並べられていて、奥の席からは主人の姿が見えません。
若い店員にまずはビールを頼んで、品書きを眺めます。魚介類を中心に、野菜、肉など幅広い料理ですが、焼き鳥、焼き豚の類はありません。品書きから魚へのこだわりが感じられます。ほどよい値段です。
魚の刺身は毎日食べているのでやめておいて、ビールが来たところで"秋田岩がき"を注文。
食べたいものがいろいろあり、かなり迷うが"青森ホヤ"を追加。

岩がきが来ました。実が肥えていて、ねっとりした下触りに思わず「おいしいですねぇ」と言うと、「岩がきは8月も終りじゃぁ、そろそろおしまいだよ」
今度は"ホヤ"が来ました。山葵醤油です。思わず「軟らかくて、味がいい」と言いますと、また、「ホヤももう終りの時期で、美味いのが入ってこないんだけどね」と冷たい響きの声が返ってきた。今頃こんなものを食べて美味いと言ってるようじゃ、おまえはわかってないなと言われているような気がしてしまいます。
こっちは食べたいと思うものを注文しているのだし、しかも品書きにあるのだから、ブツブツ言われる筋合いはありません。しばしの沈黙。

ビールがなくなって、私はようやく声を発しました。
「"加賀鳶"を燗でお願いします」
運ばれてきた酒の燗の具合も丁度良く、料理の盛り付けもぞんざいなところは少しもなく、上等に思えました。
なんだか掟を破るようで少し躊躇われましたが、酒瓶の向こうに思い切って話し掛けてみます。
「どこかで修行されたんですか」
「ほかの店で働いたのは少しだけで、ほとんど独学です。自分で店を始めてから考えて覚えたほうが多いかな」
意外とスラスラした答えが返ってきました。そこから会話が始まりました。
ひとしきり、自分が培ってきた鮮魚や野菜の仕入れの方法について語ってくれました。なんだか段々言葉遣いも丁寧になってきて、打ち解けてきた感じになってきました。

話が一段落したところで、私は席につく直前の会話を蒸し返すように、恐る恐る言ってみました。
「私は、居酒屋歩きを楽しみにしてるんです。近くはないので、これからちょくちょく来るっていうわけにはいかないけれど」
「うちはほとんどが常連さんでねぇ」ぐっと前へ張り出すような声です。常連だって、最初は一見客から始まったに違いないのです。
「私みたいのが突然やって来てしまって、申し訳ないですねぇ」
「最近そういうお客が増えて困ってるんですよ。そういうのに限ってこういう店に来たらマスターと話し込むものだと思い込んでる奴が多いんだ。こっちはお客さんに美味しいものを出してやりたいと思って一生懸命集中しているのにさ、やたら話し掛けてくる」
私に向かって返答しているのか、独り言なのか。私も、下ごしらえをさえぎって話し掛ける、ただの一見の客に過ぎません。
「でも、こうして知らない居酒屋を巡礼すると、何かを発見することがあって楽しいんです」
「こっちの商売にはちっとも嬉しくない。だから最近は、取材は断っているんです」
そういいながら、見れば小上がりのところの柱に雑誌の紹介記事がきれいに額に入れて飾ってあるではありませんか。

そんなとき、二人連れの客が入ってきました。話のやり取りから常連客であることがすぐにわかりました。
主人の声色も微妙に変わりました。
「今日は米沢牛のいいのが入っています。たたきか、ステーキで召し上がりませんか」と勧めます。
会話はそこで途切れてしまいました。私はすっかり常連客の話を聞く立場に変わりました。

私は、ほろ酔い加減というわけではなかったけれど、約束の時限が来る前に立ち上がりました。勘定を払ってつり銭を受け取るとき、主人がニコッと笑いました。いや、ただの気のせいかもしれません。
私は、陽の落ちた商店街を、人波を避けて駅へ向かいながら呟きました。
『偏屈なオヤジだった。そういえば、独りでやってる居酒屋のオヤジって、変わっているのが多いなぁ』。
でも、客なのにこんなに気を遣って飲ませていただいたのは初めてです。一見はつらいなぁ。

No.14 大丈夫か、日本の居酒屋

イギリスではパブが経営難で、急な勢いで姿を消しつつあるそうです。
その背景は、近年イギリスでは犯罪が増え、それに伴って酒を規制する法律ができたり、若者たちの嗜好がパブの飲み物であるビールからワインに移り、バーやカフェが新しい世代のたまり場になっていることと、飲食店での喫煙を禁じる法律ができたことが追い討ちをかけてパブに人が来なくなってしまったということです。
パブはこのままイギリスからなくなってしまうのでしょうか。イギリス好きの私には、何とも寂しい話です。

そんな話題が飛び火したように、日本の居酒屋も衰退の一途を辿っているという、非常にショックな話を耳にしました。日本の居酒屋の市場規模はこの10年あまり縮小し続けているのだそうです。
ピークだった1992年頃には1兆4,629億円の市場規模だったのが、2010年には1兆円程度にまで減少してしまっているというのです。さらに、今後10年間で2,000億円くらい減るだろうと予測されています。

にわかには信じがたい現象です。繁華街を歩くと、どんどん新しい店ができ、入ろうとしても満員で断られることがしばしばあるので、居酒屋は繁盛を極めているかのように思い込んでいましたが、事実はまったく違うのですね。日本の居酒屋は大丈夫なのでしょうか。

確かに繁華街では、席数200以上もあるような大型チェーン店の出店競争ばかりが目に付きます。店頭や街角では、『全品270円』とか、『呑み放題 1,200円』とか『最初の1杯無料』といったチラシやティッシュが配られ、声をかけられます。実に激しい集客戦争が行われています。
しかもそういう大型チェーン店がひとつのビルの中に集中してあったりしています。これはどういうことなんだと不思議に思うのですが、それはそれで理屈があるようなのです。
しかし、これでは売上高も収益力も落ち込んでしまうのは当たり前だと思うのですが、勝敗の分かれ目は何なのでしょうか。

味や雰囲気やサービスで勝負しない日本の居酒屋メジャーは完全に負のスパイラルに落ちっています。大型チェーン店の近い将来の淘汰もやむをえません。しかし、どんなことになっても個性のある、いい居酒屋は必ず残ります。

居酒屋は、イギリスのパブと同じように、日本の大衆文化であり伝統です。私としてはどこの国でも居酒屋文化が衰退してほしくはありません。
でも、日本の居酒屋の将来は暗いんだなぁと、チョッと憂鬱になりました。

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