No.0 Watchanは生きている

Watchan(わっちゃん)は、我が家の飼い犬であった。
しかし、今はこの世にいない。Watchanが、わが社のマスコットになったのは、今から5年程前のことであるから、まだ存命中のことである。
命日は2006年5月3日で、行年17歳と、長寿であった。
柴犬の入った雑種のメスで、大人しく、気立てがやさしく、いつも笑顔を絶やさず、ちょっと小太りで、見た目も非常に愛嬌があった。こんなに誰からもかわいがられた犬を私はほかに知らない。

Watchanは捨て犬だった。
今から19年ほど前の夏、わが家ではフランス人の11歳の少女、カリンをホームステイで預かっていた。3ヵ月の滞在中、彼女は同い年の私の娘と一緒に小学校に通い、帰宅すると近所の子どもたちと遊んだ。
そんな初夏の日曜日の夕方、近くの大きな公園で遊んでいる時に、水のない側溝の中で捨てられてうろうろしていた、生後間もない子犬をカリンが発見して、娘と二人で連れ帰ってきたのである。
ふたりとも「こんなにかわいい犬なのに捨てられてしまってかわいそう。おうちが必要ね」とすっかり我が家で飼うことを決め込んで疑わない。妻は、「目がくりくりと大きく、頭も悪くなさそう。大人になると、どんな顔になるだろうね」などとのん気に子どもたちに加わって頭をなでている。犬など飼ったことのない私は、「こんなものを拾ってきて困ったものだ、早く返して来い。大きくなったら大変だぞ、うちの狭い庭では飼えなくなる」と心の中で叫んでいた。しかし、もともと犬好きの妻は、「カリンちゃんがいなくなっても、毎日きちんと世話ができるの?」と娘に念を押すと、「二人が拾って連れてきたのも何かの縁だから、うちで飼いましょう」と、さっさと決めてしまった。
そうして、私が口をはさむ余地もなく、犬はその日から我が家にいつくことになった。

まずは名前を付けなければということになって、すぐに妻が「ワトソン君」と勝手に命名してしまった。探偵シャーロックホームズの相棒、ジョン・ワトソンに因んだ発想であったのは確かであるが、今となっては、なぜそうなったのか思い出せない。だが、とりあえずみんなが、ワトソンと呼ぶことになった。ここでも私は内心快く思っていなかったので、「和犬なのにワトソンという名前はいかにも似つかわしくない」と反対を唱えたのであったが、妙名を思い付くまでとりあえずそう呼ぶことにしようと相成ったのである。ところがどうであろう、いったんそうなったら、いい名前を考えようという機運はどこかへ消えうせてしまったのである。

しかし、ここで大きな事件が起こった。日が経つにつれ、「ワトソンはメスだ!」ということが発覚したのだ。そういえば、初めの頃は性別などまったく気にも留とめてなかったのである。さぁ、困った。今更名前は変えられないほど「ワトソン君」に馴染んでしまっている。なんとか、良い愛称がないものだろうかと一同が思案に暮れた。
そんなとき、カリンが『Watchanはどおぅ』と言った。
妻と娘が「それがいい。ワトソンじゃまずいけれど、Watchanならメスだかオスだかわかりにくいから、いいじゃない。お父さんもWatchanなら異存はないでしょう」と賛同し、無理やり合意が形成された。
そんな次第で、ワトソン君は『Watchan』になった。

カリンの可愛がり方は尋常ではなかった。カリンは学校から帰る早々、犬から離れず、それこそ寝るまで、抱いたり戯れたり、そばにおいて話し掛けたりして、片時も離れなかった。挙句の果てに、「私は犬が大好きだから、大人になったら絶対獣医さんになる」とまで言ったのだ。
毎日、毎日、フランスに帰るまで、離さなかった。帰国の日には泣いて別れを惜しんだ。もちろん、写真も大切に持ち帰った。

それから17年、数々の思い出を残してWatchanは去っていった。
犬を飼うことに消極的だった私は、その後、Watchanと仲の良い友達になって、毎朝散歩のお供をした。遠くに出かけるときには、車に乗せて移動した。家に置いて出かけたときは、Watchanが待っているから早く帰ろうというのが家族の口癖になった。いとおしいWatchanのために、私は日曜大工で2軒も家をプレゼントした。

その後、カリンは獣医にはならなかったが、フランス人の音楽家とリヨンで結婚式を挙げて、今夏、日本に新婚旅行に来た。我が家に泊った晩、食事の後に、 Watchanの思い出のアルバムを見せて、Watchanは今叔父さんの会社のマスコットになって活躍していると説明すると、ワァーッと大声を出して感激した。
もちろん、カリンへのお土産の中には、わが社の『Watchanグッズ』を入れてやった。

2008年12月
Hideaki Saito