日笠 久美

消えた東洋医学用語

 4年前に買った愛用のWindows XPの調子が悪くなり、ついに初期化。おかげで稼動スピードは格段に速くなったものの、4年間覚えこませた漢方、東洋医学用語が一瞬に消えてしまいました。私は開業以来、日々外来に来る新患の疾患名、処方だけは毎日PCに記録しています。漢方名は特殊なので、PCが単語を覚えて変換してくれないと、1字ずつ当て字から変換するしかなく、すぐにも困ってしまいました。
 急いで東洋医学辞書をインストールはしたものの、まだこれだけでは繁用する中医用語などが不足しています。しかしこれは子供を育てるように、その都度教え込まねば、私専用のPC仕様にはなりません。ふとこの古式ゆかしい漢方用語に初めて接した頃の、初期化したPCのように真っ白だった自分を思い出しました。
 当時西洋医学しか知らなかった私の頭脳は混乱をきたし、なかなか漢字の処方名や効能が覚えられませんでした。私の場合はまだ初学者の時代に縁あって漢方外来を受け持つことになったため、お粗末な臨床をしながら、自宅に帰ってから参考書を見て、必死に勉強をする毎日でした。しかしそんなことでお茶を濁せるわけもなく、最初の頃は漢方外来の日になると、登校拒否児のように朝お腹が痛くなったものです。その内に、処方名はその漢方の働きとか、主要な構成生薬からちなんでつけられている場合が多いことが分かってきました。また常に手書きで漢方処方名、生薬名をカルテに記入する内に、自然と漢字や処方構成も覚えていきました。
 しかしそれで事が済んだわけではありません。漢方には面倒な東洋医学用語や考え方がたくさんあって、それぞれの用語が一体何を意味するのかを、自分なりに理解する必要がありました。といっても、漢方理論自体が現代医学と大きく異なるため、胡散臭く思えてなかなか覚えることができませんでした。
 それを打ち破ってくれたのはある症例との出会いでした。その方は五年以上にわたる多発性円形脱毛症で頭髪は薄く、眉毛も睫毛も抜けたまま生えてこない状態でした。そのうえに両手、両足に重症の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という膿をもった水疱が多発しているという気の毒な状態で、長年さまざまな医療機関で治療を受けても、改善することがなかったので、漢方治療にかけてみたいと、来院されたのです。
 彼はやせ型で色黒、頻繁に扁桃腺炎を起こしては熱を出していました。筋肉質でやせ型、色黒で上気道の慢性感染症を起こしやすいというのは、一貫堂という漢方流派の解毒症にぴったり当てはまる体質です。そこで解毒症体質に定められた処方である荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)という漢方薬を投与してみました。そうするとあれよという間にまず掌蹠膿疱症が手足まとめて消え、次に円形脱毛症がどんどんよくなり、気がつくと扁桃腺炎まで起こさなくなっていました。
 漢方ってこんなに効くのかと患者以上に感激した私は、その後迷いも吹っ飛び、漢方理論も受け入れられるようになっていきました。「好きこそものの上手」とはよくいったもので、気がつくと今の漢方医の私が出来上がっていたというわけです。新しい学問の獲得に寄与するのは、必要に迫られた環境とそれによる成功体験なのかもしれません。

15年間のタオの旅

 私が気功と出会ったのは今から15年ほど前で、中国から輸入された気功がブームを迎えはじめた頃でした。治療に取り入れた漢方に手ごたえを感じ、専門にしようと考えていた私には、主要概念である「気」というものが何かを知りたいという気持ちがありました。
 最初に紹介された気功の会は、固定概念をなくし、自分の大きな気の力を信じて気功の練習をすると、思いがけないことが可能になるというユニークな会でした。いわゆる超能力気功といわれる考え方です。医療関係者も大勢集まっていました。教えられたようにやっているうちに、スリムな私が川原の石を素手で割る、スプーン曲げるなどと、我が身を疑うような離れ業ができてしまい、確かに人間には固定概念で考える以上の大きな気の力があるのかもしれないと考えさせられました。実際この会の仲間からは、透視能力を持つ人やプロの気功師も出現しました。
 次に入ったのは、中国人気功師が主催する外気功師養成講座でした。自分の内なる気を内気功という独得の気功法の動きで天地宇宙の気も取り入れながら整えたうえで、それを指先などから体外に出して病気を治す方法を外気功といいます。外気功を専門に教える講座というは当時めずらしく、講義のある大阪には全国から人が集まっていました。
 早速外来患者さんに試みましたが、多忙な外来でそのような技法を使うと、診療リズムが乱れて疲れがひどいので、すぐに止めてしまいました。しかしその頃に出会った肺癌患者さんが余りに必死なので、彼女にだけは週1回外来の最後に30分ほどの外気功を3年ほど、ほぼ毎週続けたでしょうか。その中で私と彼女との意識の境界線がどんどんなくなり、私の手が勝手に彼女の身体を癒しているのを、もう一人の私が不思議そうに見ているという貴重な体験をしました。お互い沈黙での外気功の時間なのに、さまざまな心の語らいをしているように感じられ、魂が純粋だったその女性から多くの教えを受け取ったように思います。その方は癌が拡大してもお元気でしたが、カゼをきっかけに数週間の入院で天に召されました。
 しかしその数年後、治療者である私自身が大きな病気で手術することになり、それをきっかけに外気功での治療は止めることにしました。更年期や病気のこともあり、自分を元気にする気功をやっていこうと考え、5年ほど前に生活全般で気功を考えようという会に入り、自分や家族のための健康体操のような技法を学びました。しかし'98年中国でおこった法輪功取り締まり事件の後は、日中共に気功ブームは急激にしぼんでしまい、あんなに賑わっていた気功教室に生徒は集まらず、その企画自体も数年で終わってしまいました。
 今、私は「簡化24式」という大衆的な太極拳を習っています。太極拳は健康気功でもありますが、拳の名前が示すように武道の一種から発展したものです。これまでの中では最も普通の気功ですが、ゆっくりと力を抜いた動きを、リラックスしながらやっています。
 身体には大自然と繋がった気がゆったりと流れている。そのことが我身体で理解できたこの15年間のタオの旅でした。

身体表現の摩訶不思議

 私は東洋医学診療を長年阪神間で続けてきたが、約2年前に郷里の淡路島で、50年間開業医をしてきた父親の後を継承し、父の内科患者も診ることになった。80歳台の父親の患者もまた相当な老人で、若先生の私はそれらの人達の話に日々耳を傾ける。
「どうされましたか?」「ここがつらいんじゃ」と胸に手を当てるある老人。心電図でも異常がなく、狭心症の薬も効果がない。嫌な予感がして胃カメラで検査したら、大きな潰瘍ができていた。
 また別の老女は「ここがしんどい」とお腹をさする。胃炎か腸炎と思ったが、何となく皮膚がむくんでいるので、下肢を指で押すと浮腫がある。胸部レントゲンを撮ったら、右心不全になっていた。
 久しぶりに来院した男性老人は「背中がえろうてかなわん」と肩をたたいている。つらそうな顔ではないが、同行した息子が一晩中ソワソワしていたというので、何か変だぞと近くの病院へ紹介したら胃穿孔をおこしていた。
 これらの老人達は極端にボキャブラリーが少ない。行動範囲が狭く、農業など自然を相手にする職業を長年していたら、以心伝心ですべてが解決するのか、自分を伝える言葉は何通りかあれば十分らしい。病気の訴えも「しんどい」「つらい」「えらい」、場所も「ここ」、「あそこ」と指差す程度にしか言わず、しかも実際の病変と違う部位だったりするのだ。はじめはボケているのかと失礼なことを考えていたが、だんだんと身体表現が古風なだけだと気がついてきた。現代風であれば、多分「胸から、胃の辺りが気持ち悪い」と具体的に言うところを、「ここがつらいんじゃ」と胸の辺りを指すだけですませてしまっているようだ。とにかく訴えのある小さな部位で判断しないで、大きく全体を見て考えないと、とんでもないことになるし、端的な言葉から多くを読み取らねばならない。
 でも待てよ、これって漢方診断技術と同じではないか。部位をみて、気血水や五臓といった全体を考えるというのと、「ここがつらい」の一言でも全体の病気ではないかと考える、メカニズムは同じだ。漢方診療には「不問診(ふもんしん)」といって、最初から全く患者から話を聞かずに、脈診、舌診、望診(患者をながめて診察する方法)程度だけで処方するやり方すらある。さすがに現代漢方医でそこまでする達人(変人?)はみかけないが、数十年前まではそんな名医もいたらしい。
 EBMを問われる現代医療。私たちは日々診断のための具体的な根拠を追い求めるクセが色濃くついている。しかし外来診療において、患者から伝わってくる何かへんだぞという気配を深く考えるということは、原始的ではあっても安全で大切な技術である。それは相手の気の変化を読み取るという、東洋医学の奥義にも通じる。
 言葉少ない、田舎の素朴な老人患者のおかげで忘れかけていた医療の原点に少し気がついた。

「Wounded Healer」

 医者になって既に25年以上の歳月が流れました。
 私が最もエネルギッシュに働いていたのは30歳代の頃です。小さな病院に勤めていましたが、漢方を臨床にいち早く取り入れたのも幸いして、それまでの内科患者と合わせて毎日150人以上の外来患者が来るようになりました。その上に入院患者の回診もしていましたから、超多忙な毎日でした。
 その頃ヒットした、ロボット警察官が活躍する「ロボコップ」という映画の題名からもじって、私は「ロボドック」と呼ばれていました。自分でも不思議なくらいのスピードで仕事をこなし、それが楽しくてしかたない生活でした。
 それが7、8年程続いた頃、突然、嫁いでいた妹の癌が判明し、既に手遅れ状態であるとわかりました。またちょうど同じ時期に、プライベートなことでも様々な試練がふってわくように続きました。妹の最後を、仕事もしながら私の病院で看取ったこともあり、すべてが終わった時には体重が5kgも痩せていました。それでもたくさんの患者を放り出すこともできず、私はまた元の多忙な日常に戻りました。
 しかし以前と何かが違って、テキパキと仕事がこなせなくなってきたのです。はじめは、こんな試練の後だから疲れているのだと思っていましたが、どうやらそうではなくて、一人ずつの患者さんの話を聞く時間が長くなっていることに気がつくようになりました。話を途中で中断できなくなっていたのです。私の外来終了時間は午前も午後も1時間以上遅くなり、回診や食事の時間さえ危なくなる始末で、ついに新しい医者を増やしてくれることになりました。
 的確に早く仕事をこなすことにやりがいを感じていた私は、ロボドックの部品が欠けて、ポンコツロボットになった気分がしました。
 そんなある日、友人の誘いで心理学の講演を聴きに行くことになりました。そんな分野に興味はなかったのですが、色々なことがあって何かを変えたい気分だったのです。目幸黙僊(みゆきもくせん)先生というカリフォルニア州立大学教授の演題は、「Wounded Healer」というものでした。
 「Wounded Healer」とはユング心理学の言葉で、「傷ついた癒し人」という意味でした。人生の中で傷ついた治療者が、自らの傷を自覚することで、他者の痛みを理解して、それがお互いの癒しへと成就していくという内容でした。
 その講演の後、現在の自分に起こっている外来作業の変化の意味が心から納得できました。傷ついた治療者の私は、同じように病で傷ついている患者さん達の言葉に、知らず知らずの間に耳を傾け、共感するようになっていたことにやっと気がつき、胸が一杯になりました。そして患者を機械的にさばける医者ではなく、癒し人になりたいと強く思いました。
 あれからもう10年以上の年月がたちます。私の心の傷はすっかり癒えましたが、「Wounded Healer」としての気持ちは、これからも変わりなく持ち続けたいと願っています。