森山みどり

みどり先生の「おそうじ」セラピー

 みどり先生です。
 まあ、本名でもいいのですが、あまりに、この名前が気にいっているので、このままで、登場することにします。
 さて、忙しかった我が家でしたが、長女がこの春に大学に進学し、下宿生活することになりました。5時おきだった朝も6時でも、間に合うようになりました。少し、ふぬけになった気分ですが、次女、三女、そして、夫がいるので、まだまだ、ばたばたです。
 そこで、この機会に思い切ってがらくたを処分することにしました。私の尊敬するカレン・キングストンの『風水整理術入門』*が頼りです。よく家の中を見渡すとあまりに余分なものが多くて毎週あきれながら、ゴミだしに明けくれました。
 まず、過去1年から2年の間に使っていたか、ほんとに気にいっているかなどを基準に売る、交換する、捨てる、焼く、人にあげるかを決めていきます。いつか読むかなあという本(いいえ、読みませんね)、いつか着るかなあという服(いいえ、着ません)すべて処分です。子供の作品などは、写真やビデオにとって、記録としました。
 あちこちのものをすてまくっていると、心が軽やかになり、妙なだるさが少なくなります。不思議なもので、家の見通しがよくなると、精神状態まで、おおきくかわります。うつの人に、
 「まず、ひとつの引き出しの中をすべてすててね」
というと、それだけで考え方がかわったり、究極、自殺予防にもなったということもあるようです。がらくた捨てもばかにできません。無駄使いの予防にもつながります。
 冷蔵庫内のがらくた処分は、カレーです。残ったすべての野菜をみじん切りにして、カレーにしてしまいます。カレーには、茴香(ういきょう)や丁字、ターメリックなど、漢方の生薬として使用されるものが含まれています。この前、安中散という漢方をカレーにまぜました。
 この漢方には桂皮、茴香など、おいしい生薬がはいっており、辛みで、生じやすい湿熱からの胃もたれにもよさそうです。という訳で、カレーをせっせと食べ、野菜の無駄がなくなりました。いいことばかりなのですが、先日、夫がぽつりとつぶやきました
 「もしかして……僕は、生ゴミ???」
 えー、粗大ごみだったりして……(笑)。
 お粗末でした

*『ガラクタ捨てれば自分が見える—風水整理術入門 』(カレン・キングストン、小学館文庫)

山の神様

 山に向かって、自転車にのる。これが、私の学生時代、1日の始まりでした。
 春には、柔らかで、少し遠くに見える山、夏になると、みどりにそまり、力強さを伝える山。秋には、この世のものと思えないくらい色とりどりの美しい山。そして、冬には、白く、きびしい山。小さい頃より、山好きの私は、いつも、山と友達でした。そんな私は、山にちかい大学にいくことになり、登山するチャンスに恵まれました。
 山の朝は、早い。朝もやの中、クレバスの近くの雪渓からとってきた雪をとかし、紅茶をつくる。すきとおった水で作ったその味はまさに、五臓六府にしみわたるお味なのです。途中、コマドリや雷鳥、こまくさ、みずばしょうなど、どれも可憐で、名所でみるより、はるかに心うたれます。
 夜には、満天の空にきらめく星、流れ星、天の川、そんな星たちと話しながら、リコーダーをふきます。山では、ふかれるとか、後家さんというセリフのある歌は禁忌なので、よく、エーデルワイスをみんなで、楽しみました。
 テントの中で自然にいだかれている自分をかんじながら、シュラフの中で夢をみます。おおきな優しい山の夢です。とても、幸せを感じる夢でした。
 数日、山にこもっていると、どの人とであっても、自然に声をかけるようになります。「こんにちは」──これだけですが、お互いの無事を祈る気持ちがこめられているのを感じました。そして、山から里におりて、ひさしぶりに、電気の灯りをみたとき、心から、人間にたいするいとおしさがわいてきます。
 いやなこと、ひどいこと、あっても、されても、すべて、流れ去るようないとおしさでした。また、人間社会にいると、ざわざわとけがれていくような感じ、で、次の山をまた、めざすのです。ひまがあれば、井上靖や、新田次郎など、山の本につかる日々をすごしてました。
 でも、ある年の六月のことです。私の大好きな山は、同級生の命をうばいました。七月になれば、小学生のハイキングコースになるであろうその山で、凍死という方法で、命をうばいました。それから、もう、一度もテントをかついで、いません。フランス製の登山靴もほってきました。シュラフで、ねることもありませんでした。結婚した夫も海が好きな人でしたので、いまだに、山とは、縁のない生活です。
 でも、このごろ、ふと、思います。命をうばったのでなく、あずかってくれているのでは、ないか。そして、いつか、自分の心が、開放されて、また、山とむきあって生活できる日々がくるのではないかと思うようになりました。
 私は、一度、山で、滑落しかけたことがありました。その時、きっと、メンバーのだれかが、手をひっぱってくれたと思うのですが、もしかしたら、山の神様がたすけてくれたのかもしれません。山の神様、ありがとう。そして、そう、素直にいえる日がくるといいなと思うこのごろです。

ありふれた1日

 40才半ば、ちょっと、くたびれた中年女医のある1日の物語である。
 みどり先生の家族を紹介すると、娘3人、夫今のところ1人、それと、あほウサギ2匹である。まあ、よくある家庭なのだ。
 朝、5時前に、みどり先生の愛用目覚ましが、りーんと、けたたましくなる。
 大あくびしながら、長女と次女の弁当作りが始まる。婦人科と東洋医学を担当するみどり先生にとって、食事作りは、とても、大切な子育てなのである。
 ここだけの話、とても、料理は下手で、苦手である。お料理をするというより、まるで、飼育係という感じがぷんぷんにおってくる。
 1人1人を、駅まで、送り、8時すぎに、やっと、1人になる。新聞も読む間なく、洗濯と、後かたづけをし、その後、朝から、夕食の準備にとりかかるみどり先生である。今日のメニューをのぞくと、なんと、冷しゃぶと煮物と小松菜のおひたし……いつもよりかなり、ましな献立である。
 さあ、9時、これから、午前診がはじまる、でも、少しお疲れの様子……どうするかと、思いきや、腹式呼吸開始、すーはー、すーはー、これで、かなり元気がでてくる。腹式呼吸は、呼気は、口から、吸気は、鼻からが、原則。後は、おへそに、力と、気持ちをおくだけ。
 この呼吸法は、うまく使うと、肩こり、頭痛にもきき、お金のかからないいい健康法である。また、大変な患者さんの診察の後にも、1人で、密かに、すーはー、すーはーしている。さすがやねえ……。
 昼休み、1度、自宅にもどり、夕方から塾にいく三女のお弁当、バス代、「お帰りなさい」から始まる手紙、そして、ご丁寧にも、おやつまで置いて、午後診に向かう。みどり先生の子供時代は、塾がよいもせず、遊びまわっていたのに、最近の子は、大変だ。学校帰り、誰もいない家に帰ってくる三女のことを、思うと、胸がいたむ。おやつたべて、愛情弁当もって、気つけて、いってらっしゃい……。
 午後診は、東洋医学の外来である。午前診の婦人科と異なり、舌診、脈診、腹診などの診察が、特徴である。みどり先生は、どちらかといえば、この診察法がすきなので、はりきって、治療しているようだ。東洋医学は、西洋医学と同様か、それ以上に、大切な分野なのだ。
 女性のいろんな悩み、悲しみ、苦しみを、いろいろな角度から、同じ目線で、みていく。
 とはいえ、六時すぎになると、さすがに、くたくたになっている。中年のサラリーマンのごとく、口をあけて、うたたねする帰り電車なのだ。
 こんな生活のどこがいいの?──といわれそうだ。でも、子供を産み、母乳で、育て、いっしょに、日なたぼっこしたり、絵本を読んだり……。こんなありふれたことが、今の診察にとても、役に立っている。長い人生、ひととき、コースをはずれ、時間に追われない生活を楽しむことは、決して、悪くないと思う。
 しかし、その当時は、第一線からはずれる悲しさ、あせり、後悔だけだった。
 20年という年月を経て、今、やっと、その良さがわかってきたようだ。
 中年女医みどり先生は、外見は、おばはんだが、心は、好奇心と、向上心のかたまりである、そこらの研修医には、負けてまへんわ。がんばれ中年、がんばれ女医……。