司馬理英子

ドイツ学会旅行記

 この8月、はじめて海外での国際学会というものに参加しました。
 ドイツのベルリンで行われた、世界児童青年期精神医学会です。一週間も留守にするので、診療所や犬や草花など、いろいろあとに残すものものの手配を終え、さあしっかり勉強してくるぞとドイツに向かいました。若い頃から、ときおり「飛行場に着いたら肝心のパスポートを忘れてしまった!」という夢を見る、ずぼらにみえて繊細な私ですが、今回もそのような非常事態は起こらず、無事ルフトハンザ機に搭乗できました。
 長い空の時間は、足下に鞄を置いて靴を脱いだり足を組んだり正座したり、ひたすらエコノミークラス症候群対策を講じていました。
 さてベルリンに着いて翌朝には学会会場に行って分厚いプログラム集をもらいました。あまりに演題が多すぎてなにがなんだかわからないくらいです。普段書物や論文でしか知らない高名な研究者たちの演題がめじろ押しです。「うーん、このなかで何をとって何を捨てるか? しっかり勉強するぞ」。わくわくどきどきです。

 今回の学会はドイツ、といえば人にいいところへいらっしゃるのねとうらやましがられたりもするのですが、いわゆるドイツの観光地が主に南の方に位置しているために、ドイツの北の端にあるベルリンが拠点では、観光といっても近場をちょっと見るくらいかなと残念に思っていました。
 ところが市内観光でベルリンの街を巡っているうちに、妙に血が騒いできました。ベルリンの街は西と東を隔てていたベルリンの壁の崩壊後、ひとつの街となり、東側の部分はすごい建築ラッシュでした。街全体が現代建築の大博覧会といった風情で、好みの問題はおくとしても、世界の建築の流れに触れる想いでした。ベルリンの壁は、一直線に築かれたものでなかったため、壁を取り払ったあとのベルリンの街はバスで少し走ると、ここは旧西ドイツ、角をまがるとここは東ドイツといった具合に入り組んでいて、それもなんだか不思議な楽しさです。
 顔見知りの女性のドクターたちが「あしたはどこへ行きましょう?」などと声を弾ませています。「先生方は学会はどうするんですか?」「今回はしっかり遊ぶのよ」。普段から熱心な研究発表をしていらっしゃるその先生の言葉に、素直な私は強く影響されてしまったのです。私の想いは勉強から観光に少しシフトしはじめました。
 翌日少し離れたマイセンへ、ドレスデンへ……と毎日バスに乗っては数時間離れた近隣の都市の観光に出かける日々が始まったのです。ドレスデンはかなり復興が進んでいました。たくさんの煤でおおわれ、酸性雨で浸食されて真っ黒になってしまった古い建造物の一部がきれいに洗われ、丹念に補修され、ほとんど空爆でそこなわれてしまった歴史的な建造物を再建したりと、ベルリンとはまた違った意味での建築ラッシュなのです。
 東西の併合でドイツの経済はかならずしも順調ではないというガイドの話もありましたが、そのなかでこんなに熱心に多くの復興作業が進められているのは驚きでした。ふつうであれば、第二次大戦の終戦後に行われるはずのこうした作業が、東ドイツの体制のなかではまったく行われずにきました。半世紀の間あたかも時が止まっていたかのような多くの建造物の修復がここにきて行われ、多くの建物がよみがえってきています。
 名だたる美術館もまた圧巻でした。ヨーロッパの、ドイツの歴史の重みに圧倒されてしまった私です。

 そんなこんなで、当初の目的の学会の方は、要所要所を押さえる程度で終わってしまいました。残念。
 けれどもドイツの街で見つけたいろんな驚きや感動は、日々の診療でかなり疲れ切っていた私にはすばらしい癒しを与えてくれました。
 勉強も大事なのだけど、それより大事なことが人生にはある……という20代にしてすでに達観していた想いをふたたび噛みしめた私でした。