土方 康世

今年もまた東洋医学会で二宮先生とお会いして

 二宮文乃先生は形成外科医として出発されたため、真っ先にされた外科医としての訓練は腹部手術、つまりお腹を切ることでした。うっかり腸を傷つけたりすると、中から回虫が出てきたり。
 また前立腺の手術は今と異なり大変難しく、最も良い方法は、モギレクトミー、つまり、悪くなった前立腺をもぎ取るように除くのだそうです。術後は膀胱内出血が止まるまで、毎日のように膀胱洗浄を繰り返さねばならず、これまた多数の患者さんのための重労働でした。手術日には、これを1日に何例もすることがあったそうです。
 腎結核が多く、治療法は腎臓摘出でした。毎日のように膀胱洗浄を繰り返さねばならず、これまた重労働だったそうです。入院患者は検査、点滴、尿沈渣をし、顕微鏡で見る、プレパラート作り、血液検査など、今ですとすべて中央検査室に出す仕事を、すべて自分でしなければならなかったのです。
 当直料は350円。食事は患者さんの験食で、余りおいしくないので、たまにカレーライスを外からとると700円。あっという間にお金はなくなり、実家に送金を頼むという繰り返しでした。50年前は、医学をただで教えてやってるんだから、労働をしても勉強させてもらってるのだから、無給であたりまえという時代でした。
 一度など、ようやくデューティーが終わり患者回診を済ませて、朝6時くらいに起きて教授回診の準備で忙しくして、回診している途中に意識がなくなり、気がついたら点滴されていたといいます。真っ青になって失神したそうです。でも気がついたら、直ぐまた働かなければならないのが現実でした。
 入局はしても、このような厳しい労働ですから、沢山の女性同僚が脱落して辞めていったそうです。寝るのは深夜。起きるのは早朝。女性専用特別室なんてないから、外来のベッドが寝室代わり。土日もあってなきがごとし。まるでたこ部屋(?)、女工哀史を思い出させますね(土方感想)。そして二宮先生に診てもらいながら、「医者はどこだ」と嫌がらせを言う患者もいたのです。
 とにかくこの若々しい魅力的な70才を過ぎている二宮先生は、このような生活をずっとしてこられたのです。それだけの苦労をこなしてこられたから、今の二宮先生が有るのでしょう。
 先生は今、何千枚の皮膚の写真をパワーポイントにする仕事を毎日してもらっておられます。する人がその多さに倒れそうだというから、数もおわかりになるでしょう。
 二宮先生の不思議なお話も聞きました。疣(いぼ)だらけの子供があちこち病院巡りをしても良くならず、先生を受診したときに、先生が「お参りするとよく効く神社があるのよ。どこに行く?」と聞いてお参り場所を決めて帰宅後、翌日に疣が全部消えたそうです。つまり、「かなり精神的なことが影響したのは間違いないですね」、というお話でした。
 先生の所には親、子、孫と3世帯でかかっている患者さんが結構おられるそうです。50年近く開業しておられたらそうかもしれませんね。各家の歴史までご存じの主治医って、すごいですね。
 私も今年で開業25年ですが、親、子、孫にわたる患者さんが数組います。先日一人の若者が受診しました。彼の言うには、「小さい時は親に連れられてきていたので、10年ぶりに訪ねてきたが、必死で思い出しながらやっとたどり着いた」とのことで、思わず胸が熱くなりました。
 二宮文乃先生、漢方界きっての皮膚科名医。私も困り切って患者さんを先生にお願いすることがあります。しばらくするとすっかりきれいになって当院にお礼に来られるので、「ただ人」ではないと心酔している師匠です。
 だから先生のお話をなるべく記録に残して後輩の方々の人生の指針にして頂こうと思い、先生の許可を得て投稿させて頂きました。

尊敬する先輩、二宮文乃先生とセミナーでご一緒して

 9月19日、二宮先生とご一緒に、「第16回大阪漢方談話会」(小太郎漢方主催)で、アトピー治療に関するセミナーをすることになりました。先生は皮膚疾患のことを私にいつも懇切丁寧に教えてくださり、先生と生徒が一緒に講義をする感じがして、はじめは気分的にちょっと引けてしまいました。
 そこで思い切って二宮先生に、
 「先生、ご一緒にセミナーと言われましたが、するからにはちゃんとした物にしなければいけませんね。てんでバラバラにするより何か関連づけた方がよろしければ、タイトルを御教示頂けませんか」
とお願いしたところ、
 「私は『エキス』のアトピー治療の話をするから、土方さんは『煎じ』のアトピー治療をしたら?」
とアドバイス下さいました。
 さて症例が集まるやらどうやらと危惧しましたが、それなりに集まり、グラフ化してみると、なんとか形はできました。うまく行った症例ですから理由があって効いてるのですが、日常臨床では「うまく行って当たり前」で、そのまま行き過ぎてしまい、検討することはほとんどありません。
 しかし切羽詰まって検討分析すると、新たな事実がわかってくるのには驚きました。うまく行った症例の検討をやらずじまいで進んで行くということは、新事実をどんどん捨てて行くことになるのだと実感し、「よくぞ二宮先生がアドバイスして下さったこと!」と感激いたしました。
 これも女医どうしの遠慮のない本音で話し合える仲なればこそです。もし男性医師の場合には、別に嫌な方でなくても、きっと私は二宮先生に対するようなお願いはしなかっただろうと思います。
 もう一つ驚きましたのは、大阪市大の皮膚科の助教授の小林先生が、お忙しい合間をぬって出席して下さり、会食にまでつきあって下さったことです。この方は超多忙で、お休みの日は倒れて寝てられて当たり前というのに、休息を犠牲にして、開業医の講演を聴きにきて下さったのには、尊敬の念を禁じえませんでした。小林先生も日常診療で随分ご苦労されてこられてるようで、ざっくばらんな興味をそそられるお話を色々して下さいました。
 二宮先生がお若い頃、患者さんから「あんた本当に医者か」と言われたり、朝9時から夜11時まで手術をして、すんだら術後患者の回診をして、寝るのは午前3時──それも寝るところがないので外来のベッドで──、7時には起こされて朝の診察に向かうという日々、あるいは患者サンプルのホルマリン漬けから切片切り、染色、検鏡、写真をとり現像するところまで、すべて自分自身でしなければならなかった日々──それも無給の上に、月謝まで払って──というお話には本当に驚き呆れ、感心しました。その苦労が先生をして、年齢を感じさせないパワフルなオーラを発する人にしたのでしょうか?
 しかし又驚かされたのは、小林先生がサンプルの切片切りから現像まで全部ご自分でされていたというお話でした。云十年の年の差はあるはずのお二人が、まったく同じ苦労をしているという事実に驚きました。
 現実とはそういうものかもしれません。
 だからこそ、70代から30代までというメンバーが一堂に会して、遠慮なく、本音で話し合えるのでしょう。もちろん最年長の二宮先生が、ざっくばらんで、他者のことを思いやるお人柄であることは大きな要因です。
 われわれは幸せです。お手本にする先輩女医と身近に接することができるのですから──。
 ふと周りの女性医師を見回すと、皆さんそれぞれに困難な状態を引きずりながら、ニコニコ楽しそうにしておられるのです。女性医師はこれで良いのだ、このスタンスで進んで行くのだ。そして情報交換を密にして、助け合って行くことが、女性地位向上に直結しているのだと、心から感じました。

工学部から医学部へ

 大学受験前、担任の先生から医学部進学を勧められましたが、叔父が阪大工学部発酵工学科が女性に向いてると強く勧め、昭和36年に入学しました。医師になり誤診、誤って死なせたら怖いという獏とした不安があったことも、工学部進学を決定したと思います。
 入学後、ベトナム戦争反対等に端を発した学園紛争はエスカレートして行き、吹田キャンパスは機動隊が常駐し、「産学協同反対」、「出て行け、企業の犬XX教授」等書かれたピケが一面に張られ、この間教授を含め大学職員が紛争に絡んで、数人亡くなったり怪我をしました。友人関係さえいびつになり、何とか学位を取得しましたが、助手のポストは沢山あるのに、某助教授から助手にはなれないと言われ、初めて女性差別を感じ大きなショックを受けました。同じ事は他学部でも起こっていました。
 この頃、難病の母が、今は亡き漢方専門の北村静夫先生に治して頂き、漢方薬の効果に正に目からうろこが落ちました。以来漢方の虜になり、医学部受験を決心し、短期間の相当な無理が祟り、クインケ浮腫でお岩のような顔で、高校生と共に大学受験に挑戦しました。関西医大合格を聞いた途端、残りの受験をする気が失せました。出産、性格の違う実母とのバトルの連続、離婚等もあり、精も根も尽き果てていたのです。
 医学部入学後は、漢方の勉強に東京に通いました。
 医師になり現代医学で難治例(特に肝疾患)を見るにつけ、漢方薬が効くのにという強い思いが、ストレスになりました。2年間の研修後思いきって、保険の束縛を受けない自費診療で漢方専門医院を開設しました。当時は漢方と言っても首を傾げられ、まともな医者とは思われないことが多く、漢方の為に出来る限り発表、投稿、資格を取ろうと決心しました。それが現在までに色々な資格を取得した所以です。
 しかし、一番大事な事は患者さんを治すことで有るに違いは無く、日本漢方で行き詰まりを感じていたとき、神戸中医学研究会へ入ることが出来ました。約5年在籍しましたが、中医師による患者さんを前にした個人教授に切り替え、10年経過しました。
 中医学には数千年にわたる経験から来た理論があり、はるかに処方内容の選択肢が広がり、特に現代医学で難病指定疾患や難治と言われる病を中医学で診断治療すると、著効を得ることをしばしば経験し、すっかり中医学にはまり込んでしまいました。確かに治療改善率は格段に向上しました。
 最近は漢方研究を通じて、若い女性医師達と知り合う機会を得、皆様が診療、育児,教育、家事等々に邁進され、時に孤軍奮闘されている実態を知り、共感、感激、賞賛で一杯です。そしてそれぞれの専門分野の多くを教えて頂くにつけ、60才でなんと幸せな状態が来たのだろうかと、その幸せをかみしめています。
 女医どうし助けあえば、大きなうねりを創造でき、医学にも大きな貢献が出来そうな気がします。益々情報、意見交換が盛んになることを祈ります。