グッピー日記 「ぐうたら医者の決心」

車を運転しながらなにげなく口にした自分のことばが頭のすみに残り、その場面が映画のワンシーンのようにして蘇ってくる。
 「長いこと精神科医をしていて、今では精神科しかできないけれど、こんなので良いのかな。」
 ある研究会の帰り、たわいもない話を助手席の友人としていた時ふと出たことばである。友人は同い年の同業者で、私は彼女に誘われて研究会に出席していた。その帰り道のことである。友人は大変忙しい。私は精神科医でしかないが、彼女はそれに加え妻であり母でもある。それでも時間をやり繰りしては、研究会や講演会に行っている。それに比べ私は、時間もあるのに何をしている事やら。こんなぐうたらで良いのかな。この程度かな。
 人生を絨毯に例えた作家がいて、小説の主人公に「人は人生を紡いでいる。」「自分の人生は自分で織り上げている。」と言わせている。なるほど、確かに私の絨毯は、縦糸の時間は彼女と同じでも、描き出した絵柄はかなり違っている。織り込まれている共通の糸は、女と精神科医。最初はさほどでもなかったのに、時が進み作品の三分の二を織り上げてしまったら柄の違いがはっきりとわかるようになった。私のはぐうたらしていたぶん色のすくない単純な柄になっているように思う。彼女のは複雑そうだ。それぞれの人生。比較して良し悪しをつける事もできないしその必要もないけれど、ついに残り三分の一を織るだけとなったら絵柄が気になりだした。今まで織り上げた柄は、気にいらなくとも受け入れるしかない。しかし終わり良ければすべて良しということばもあるように残りを納得のいく絵にしたい。少し欲がでてきた。
 私の絨毯には、グッピーのことも4年前から織り込まれているはずだ。いやもう少し早いかもしれない。出会いはもっと前で高校時代にさかのぼるから。
 16歳のとき釣り好きの友達がいた。私は魚を釣ろうと考えたこともなかったが、ミミズやゴカイを素手で扱い、釣った魚の針をはずすことができる友達であった。釣りをするのだからあたりまえだけれど私には経験のないことだったので驚きであった。
 彼女は、山の手の広い庭のある家に住んでいた。静かな住宅地でそこにいく電車には、すずらんのシャンデリアが下がっていた。春は桜並木がうつくしく、夏には駅前で金魚すくいの店がでていた。私が、「すくわれる金魚が可哀そう。」というと彼女は「そう思う人に飼われたら救われる。」と答えた。そういう彼女は金魚ではなく、グッピーを飼っていた。これがグッピーとの最初の出会いである。昭和40年代の話である。稚魚が育たないと、彼女が嘆いていたことを思い出す。今のように熱帯魚の飼育道具が進んでいなかったから難しかったのだ。高校を卒業して釣り好きの友達は薬学部に進み、私は医学部にいった。
 やっぱり残り三分の一の絵柄は、今までの柄をいかし、天空に広がっていくようなものにしたい。これまでも今も精神科医であるけれどこれからも精神科医であり続けるのだから、絵柄の中心はもちろん精神科医の私。そして今まで一番続いたことへの決着をつけ、さらなる飛躍を目指す。
 となるとやっぱり受けなければいけないのだな。いやでもその流れに乗ってしまっているようだから。落ちたらどうしようと自信がなかった精神科専門医認定試験。受けることにしょう。精神科医の証として。