山の神様

 山に向かって、自転車にのる。これが、私の学生時代、1日の始まりでした。
 春には、柔らかで、少し遠くに見える山、夏になると、みどりにそまり、力強さを伝える山。秋には、この世のものと思えないくらい色とりどりの美しい山。そして、冬には、白く、きびしい山。小さい頃より、山好きの私は、いつも、山と友達でした。そんな私は、山にちかい大学にいくことになり、登山するチャンスに恵まれました。
 山の朝は、早い。朝もやの中、クレバスの近くの雪渓からとってきた雪をとかし、紅茶をつくる。すきとおった水で作ったその味はまさに、五臓六府にしみわたるお味なのです。途中、コマドリや雷鳥、こまくさ、みずばしょうなど、どれも可憐で、名所でみるより、はるかに心うたれます。
 夜には、満天の空にきらめく星、流れ星、天の川、そんな星たちと話しながら、リコーダーをふきます。山では、ふかれるとか、後家さんというセリフのある歌は禁忌なので、よく、エーデルワイスをみんなで、楽しみました。
 テントの中で自然にいだかれている自分をかんじながら、シュラフの中で夢をみます。おおきな優しい山の夢です。とても、幸せを感じる夢でした。
 数日、山にこもっていると、どの人とであっても、自然に声をかけるようになります。「こんにちは」──これだけですが、お互いの無事を祈る気持ちがこめられているのを感じました。そして、山から里におりて、ひさしぶりに、電気の灯りをみたとき、心から、人間にたいするいとおしさがわいてきます。
 いやなこと、ひどいこと、あっても、されても、すべて、流れ去るようないとおしさでした。また、人間社会にいると、ざわざわとけがれていくような感じ、で、次の山をまた、めざすのです。ひまがあれば、井上靖や、新田次郎など、山の本につかる日々をすごしてました。
 でも、ある年の六月のことです。私の大好きな山は、同級生の命をうばいました。七月になれば、小学生のハイキングコースになるであろうその山で、凍死という方法で、命をうばいました。それから、もう、一度もテントをかついで、いません。フランス製の登山靴もほってきました。シュラフで、ねることもありませんでした。結婚した夫も海が好きな人でしたので、いまだに、山とは、縁のない生活です。
 でも、このごろ、ふと、思います。命をうばったのでなく、あずかってくれているのでは、ないか。そして、いつか、自分の心が、開放されて、また、山とむきあって生活できる日々がくるのではないかと思うようになりました。
 私は、一度、山で、滑落しかけたことがありました。その時、きっと、メンバーのだれかが、手をひっぱってくれたと思うのですが、もしかしたら、山の神様がたすけてくれたのかもしれません。山の神様、ありがとう。そして、そう、素直にいえる日がくるといいなと思うこのごろです。