奇跡のりんご果汁

 「お顔があつい!」──3歳のある日、私は風邪をひいて高熱を出しました。母はあわてて、近所の医院に私を急いで連れて行きました。
 「ただの風邪ですよ。薬を出しときます」と言われてお薬をもらいましたが、何日経っても微熱から下がらず、元気がありませんでした。何となくボーっとしていたのです。再び医院に行き、様子がおかしいと訴えました。「熱がないので、たいしたことはありませんよ。そのうち治るでしょう」とだけ言われて、半分納得できずに追加のお薬をもらって帰りました。
 しかし、様子を見ていても良くなるどころかどんどん悪くなっているようでした。そのうちに、全く元気がなく、目つきもおかしくなってきたので、心配になった母は急いで大学病院へと私を連れて行きました。そこでは、私の様子があまりにもおかしいので、多くの患者さんが待つ中、すぐに診察室に通されました。
 「命の保証はできません。助かる見込みは少ないですね。助かっても後遺症を残すことになるかもしれません。私どもも精一杯の治療をしますが、お母さん、覚悟はしておいてください」
 まだ、20代前半の母は、一瞬血の気が引き、意識が遠のいたそうです。そして、どうしていいのかわからず、ただただ泣いてばかりいたそうです。若い父も、母を支えつつもとにかく神頼みということで、その日から毎日私のために小さな弟を連れてお百度参りをしました。
 そして、つらい病院生活が始まりました。一日おきの背中の痛い注射。同病の隣室の子供と交互に泣き叫び、泣き声を聞いては明日は自分だと思う恐怖感、注射当日突然母親がいなくなり、白い服を着た人たちが私の体を押さえ込む恐ろしさは、今でも不思議と覚えています。
 母は、寝たきりの私のそばにずっといてくれました。ある日、食べ物もほとんど口にできず、意識も半分ないような私をみて、自分も何かしてやりたいと思いました。そして、自分ですったりんご果汁を、私の口に恐る恐る少しずつスプーンで運んでみました。すると、泣く以外にほとんど反応のなかった私が、りんご果汁には美味しそうに口を動かして反応したのです。
 「令子の体が私のりんご果汁を求めている!」
 母は自分の信念で毎日毎日りんごをすっては私に飲ませました。そして、ついに奇跡の時が訪れたのです。「退院おめでとう。後遺症もなく回復したなんて、奇跡に近いです。ご両親もお子さんも良くがんばりました」。
 その後、私は何度もこの奇跡の話を聞かされて育ちました。そして、熱心に治療してくれた先生方の話も。当然のように、私の将来の夢は自然に決まりました。救ってもらった命を生かして、私も苦しんでいる子を一人でも助けたい! 私の仕事はこれしかない!
 小児科医になる決意を固めた私は、数年後、医学部に合格しました。そして、当時の先生に会いに行きました。勿論、ご高齢で個人的には覚えておられませんでしたが、とても感動してくださいました。子どものときの感謝と、今度は私が多くの苦しんでいる子を助けたいという決意で医学部に入学したことを話しました。病気になって21年後、私は小児科医になりました。
 今は、子供が三人もいて、仕事も家庭も充実しています。今、ここに私が存在するのも、あの時の熱心な小児科の先生方がいてくれたのと、両親の強い愛情があったから。それと、母のりんご果汁も……。