「映画よ、夢の貴公子よ」

 あれは私が小学五年生の頃のことでした。学校から帰ってランドセルを下ろし、茶の間の白黒テレビのスイッチを押すと、外国映画が画面に映り、西洋人男性の姿がそこにありました。
 彼を見たとたんクラッとめまいを感じ、胸の奥を突かれたような気がしました。「何と美しい男の人がいるものか!」と子ども心に驚いたものです。
 映画の題名は「悪魔の美しさ」。主演はジェラール・フィリップ。
 フランスが戦後に産んだ美男俳優でした。ロマンティックな王子様系の美貌と舞台出身の確かな演技力は高く評価されていたそうです。
 すっかり虜になった小学生は、別の日の同じ時間にテレビのスイッチを入れました。今度はジャン・コクトー作品の「オルフェ」で、ジャン・マレーが主演。彼もまた大変有名なフランスの美男俳優ですが、一旦フィリップ様を見てしまった眼には、さしものジャン・マレーも大味なおじさん顔にしか映らず、チャンネルは無情に変えられたのでした。
 当時、「美しい男性」というのは、「美人女医」と同じくらい珍しいものでした。日活のアクション映画が全盛の頃で、俳優もキレイキレイな人より個性的な風貌に人気が集まっていました。石原裕次郎、小林旭、宍戸錠などです。大映の市川雷蔵は別として。

 それ以来、フィリップ様は心の奥深くに住み付きました。すでに彼は1959年、 36歳の若さで亡くなっていたにもかかわらず……。
 思春期になってから「肉体の悪魔」を見ました。早熟なレイモン・ラディゲの原作を映画化したものです。とても切ない映画でした。人妻と高校生の恋物語です。撮影当時24歳だったのに初々しい高校生の演技でした。もっとあとになって、「パルムの僧院」「夜毎の美女」「花咲ける騎士道(ファンファン・ラ・チューリップ)」「モンパルナスの灯」などを見ました。ビデオが発売されると、手に入れました。何度も見たためビデオデッキが壊れ、買い換える羽目になりました。
 世の中には同じ気持の人々がいるもので、フィリップ様の人気は根強く生き延びました。若い世代に新たなファンを獲得するまでになったのです。そして、何と小さな映画館で「ジェラール・フィリップ映画祭」が特集で組まれるようになってきました。写真集や本もかなり出ています。もちろん、チェックは怠りません。
 最近のことです。70代の女性患者さんが診察室に入ってきて、大きな巻いた紙を見せました。「あの人」の映画のポスターでした。私にくださるというのです。秘蔵の品だったのではないかと思います。70歳を越えたその方の「乙女心」が嬉しくて、とても大切にしています。
 そして、何とフィリップ様本人に会ったことのある方がクリニックに来られたのです。哲学者・美学者の今道友信先生です。フランスに長く滞在し研究された学者で、著作に「エコ・エティカ」があります。
 彼のことを「俳優としても個人としても大変魅力ある人でした」といってくださり、胸がいっぱいでした。
 アイドル追っかけおばさんのような振る舞いではありますが、こだわるのは彼一人です。男性を超えた不思議な存在だと思っています。
 日常付き合う男性は「普通で無害なタイプ」が好みです。長年連れ添った夫は結婚当初「のび太くん」と呼ばれ、現在は「ミシュランのタイヤ人形」に変貌をとげました。
 フランス製には違いないですね。

*タイトルは岩波ホール支配人高野悦子さんの本から拝借したものです。