グッピー日記

 今日はグッピー日記の事始。思いつくままに書いてみよう。
 もう3月。この歳になると時のたつのは早いものだけど、記憶が濃縮された感じがするのは、紅白歌合戦を2月に観たせいだと思う。紅白イコール大晦日と刷り込まれているからだ。テレビの影響は恐ろしい。
 夜が明けるのも早い。グッピーの水槽を朝日が照らすようになった。この光を受けてグッピーの胴体部が銀色にきらっきらっと光る。隣の水槽では金魚が底石をチャリチャリと音たてて突いている。去年まではグッピーの水槽にも金魚がいた。黒、赤、白の3色の朱文金が、長いフナ尾をゆっくり動かして泳いでいた。
 次第に弱っていく朱文金をみて、何とか助けたいと抗生剤を使ってもみたが、だめだった。
 生ごみとして捨てるのには偲びがたく、ちいさい時のようにお墓を作った。手のひらに載せるとはみでた。体長20cmは充分にあった。猫の額ほどの小さな庭にある松の根元に埋めた。時がたって朱文金が松のこやしとなり、木の命として蘇ることを祈って。
 知人の話──。
 14年生きたヨークシャテリアは、最後は痴呆になりおもらしをしていた。
 10年生きた雑種犬は、飼い主の運転する車に轢かれ、重体だった。
 2年生きたハムスターは腸炎を起こし、獣医に掛かった。
 ハムスターが獣医を受診した日、教授との懇親会だったが、飼い主は欠席。教授に「彼女はどうしたのですか?」と聞かれ、「ハムスターが重病で、今病院に連れて行っています。」と答えた。
 3人の飼い主は、精神保健指定医をめざしている。人と動物が同等と言われると少々考えてしまうが、命の大切さを本の上だけでなく体験していてほしいと思う。
 今日も鳥インフルエンザがテレビで取り上げられている。眠るように死んでいく1万羽の鶏を想像することは困難だ。どうしてこんな事が起こったのだろうか。人だと、うがい、手洗い、体力を落とさない事、人ごみに出ない事、ワクチンをすることで自発的に予防するだろうけれど、鶏だとそれは無理だ。人でも罹る人と罹らない人がいる。罹っても軽くすむ人もいれば、死に至る人もいる。
 そんな事を考えていると、4年ほど前の老人保健施設のことを思い出した。その施設では、お年寄りが次々とインフルエンザに罹り、ばたばたと死んでいった。体力のない弱った人は罹れば重症になる。この年は老人の施設でインフルエンザが蔓延しお年寄りが死亡するという二ユースが多かった。鶏といっしょにしたら不謹慎と言われそうだが、何か共通する問題があるのではないかと思った。今年は、SARSも流行るといわれていたけれど、どうなったのだろうか。
 鶏にとっては受難の年となった。いつも兵庫県産の卵を食べているのに丹波で発生した鳥インフルエンザのために、鹿児島県産の卵を食べている。いつもの卵が出荷できないからだ。毎日産み落とされる卵はどうなるのだろう。機械だとスイッチを切れば終わりだけど、鶏はそうはいかない。人に食べられて初めて使命を果たす鶏と卵。人を守るためとはいえ殺され、破棄される鶏と卵、空しく哀れだ。
 人のインフルエンザは温かくなって、湿度が高くなると収まってくるが、鳥のはどうなのだろうか。タイもベトナムも日本より暖かく、湿度も高そうだけれど流行っている。もう少しがんばれば暖かくなるからウイルスも活動しなくなるのか。テレビや新聞の情報ではこの疑問を解決してくれない。どうすれば、良いのか。今の時代、インターネットで調べるのが常識?
 2月になって新しいウイルスが発生したとメールが届いた。あんまり新型ウイルスが次々と生まれるので、パソコン使うのがいやになった。コンピューターウイルスは、やっかいで不愉快、それに怖い。人にうつしたくない。インターネットもメールも使いたくない。でも、せっかくパソコン買ったのに、我ながらもったいないと思う。
 コンピューターウイルスに免疫ができ、すぐに対応できるようになるまで予防的手段として、接触を避けてみよう。だけど置いているだけで使わないと、機械は故障しだすので何とか使わないといけない。となると日記かな。
 日記はたいがい続かない。三日坊主。それでもなんとか続けよう、パソコン日記。最近毎日続いているのは、グッピーの世話。今日、稚魚が生まれていた。ちっちゃくてかわいい。グッピーって不思議、魚なのに子供を産む。そうだ、この観察を兼ねて書いてみよう。少々大げさだが、名前もつけて、「グッピー日記」。
 2004年3月2日「グッピー日記」の始まり、始まり。