伝える事の難しさ 「何で分かってくれへんの」

 精神科医として14年間の勤務を経験し、40歳で開業し11年が過ぎました。
 最近特に感じていることは、自分の気持ちを伝える事の難しさです。 
 情報の伝達手段はこの10年間でコンピューターを中心に目覚しく進歩し、仕事においてその恩恵に預ることは、多くの人が経験している事でしょう。
 と共に、日常生活においても大きな変化が起こりました。携帯電話、Eメール、携帯メールは 家族間、友人間、サークル活動等で、コミュニケーションの迅速化、円滑化に寄与していますし、必需品に近いものとなってきました。
 デジタルでのコミュニケーションの画期的変化にもかかわらず、当然のことではありますが、生身のアナログでの伝達手段は 決して変わっていません。手書きの文章、会話の言葉、声の響き、表情、時にスキンシップでしょうか。
 言語は比較的分かりやすいものですが、額面どおりに受け止めていいとは限りません。
 私自身、時として、気持ちと異なることを言語化していることがあります。相手の気持ちを察しての善意から、そうすることもありますし、家族に対しての甘えから、理解されたいという思いと理解してもらえないというあきらめや憤りの挟間に置かれたときなどです。
 額面どおりに受け止めたような反応しかない時は、何で分からへんの? 言わなくてもこの顔を見てわかってよ、といった感情が、家族に対して生じてきます。家族という、もっとも理解しうる立場の人間にすら、気持ちを伝えるのは難しいものです。 
 同様に言えるかどうかは分かりませんが、患者さんがその思いを医師に伝えるのは大変難しいことです。
 症状の中でも数値化された検査や所見や、画像となって目で見えるものは相互理解するのが比較的容易ですが、苦痛や不安は、どんな風に辛いのか、どの程度辛いのか伝わりにくいものです。
 そして、精神科での患者さんからの情報は、その多くが自覚症状で、絶対値としての評価がしづらいものです。伝える方はもどかしく、受け止めるのはなおさら難しいものです。
 先生何とかしてーな、しんどうて、しんどうてかなわんわ、何も出来ん、生きとってもしゃあないくらい辛いねん、とエネルギッシュに伝える方もいますし、黙ってため息をついている方もいます。多くを語らないからといって症状が軽いとか改善しているわけではなく、慌しい診察時間の中でどう伝えていいかわからず、伝えることをあきらめている場合もあるのだと思います。自分自身が伝えることの難しさを痛感するようになって、 患者さんが、症状、愁訴を伝えようとすることがいかに難しいかをほんの少しではありますが、分かったように思います。
 伝えることも、伝えようとしていることを受け止めることも本当に難しい、とかくこの世は生きにくい、などと感じてため息の出てしまう日々ですが、「炎の外来術」や「経験と鮮度」を保ちながら診療されている諸姉妹にパワーを頂きながら、ぼちぼちやって行けたらいいなと感じる今日この頃です。