工学部から医学部へ

 大学受験前、担任の先生から医学部進学を勧められましたが、叔父が阪大工学部発酵工学科が女性に向いてると強く勧め、昭和36年に入学しました。医師になり誤診、誤って死なせたら怖いという獏とした不安があったことも、工学部進学を決定したと思います。
 入学後、ベトナム戦争反対等に端を発した学園紛争はエスカレートして行き、吹田キャンパスは機動隊が常駐し、「産学協同反対」、「出て行け、企業の犬XX教授」等書かれたピケが一面に張られ、この間教授を含め大学職員が紛争に絡んで、数人亡くなったり怪我をしました。友人関係さえいびつになり、何とか学位を取得しましたが、助手のポストは沢山あるのに、某助教授から助手にはなれないと言われ、初めて女性差別を感じ大きなショックを受けました。同じ事は他学部でも起こっていました。
 この頃、難病の母が、今は亡き漢方専門の北村静夫先生に治して頂き、漢方薬の効果に正に目からうろこが落ちました。以来漢方の虜になり、医学部受験を決心し、短期間の相当な無理が祟り、クインケ浮腫でお岩のような顔で、高校生と共に大学受験に挑戦しました。関西医大合格を聞いた途端、残りの受験をする気が失せました。出産、性格の違う実母とのバトルの連続、離婚等もあり、精も根も尽き果てていたのです。
 医学部入学後は、漢方の勉強に東京に通いました。
 医師になり現代医学で難治例(特に肝疾患)を見るにつけ、漢方薬が効くのにという強い思いが、ストレスになりました。2年間の研修後思いきって、保険の束縛を受けない自費診療で漢方専門医院を開設しました。当時は漢方と言っても首を傾げられ、まともな医者とは思われないことが多く、漢方の為に出来る限り発表、投稿、資格を取ろうと決心しました。それが現在までに色々な資格を取得した所以です。
 しかし、一番大事な事は患者さんを治すことで有るに違いは無く、日本漢方で行き詰まりを感じていたとき、神戸中医学研究会へ入ることが出来ました。約5年在籍しましたが、中医師による患者さんを前にした個人教授に切り替え、10年経過しました。
 中医学には数千年にわたる経験から来た理論があり、はるかに処方内容の選択肢が広がり、特に現代医学で難病指定疾患や難治と言われる病を中医学で診断治療すると、著効を得ることをしばしば経験し、すっかり中医学にはまり込んでしまいました。確かに治療改善率は格段に向上しました。
 最近は漢方研究を通じて、若い女性医師達と知り合う機会を得、皆様が診療、育児,教育、家事等々に邁進され、時に孤軍奮闘されている実態を知り、共感、感激、賞賛で一杯です。そしてそれぞれの専門分野の多くを教えて頂くにつけ、60才でなんと幸せな状態が来たのだろうかと、その幸せをかみしめています。
 女医どうし助けあえば、大きなうねりを創造でき、医学にも大きな貢献が出来そうな気がします。益々情報、意見交換が盛んになることを祈ります。