ありふれた1日

 40才半ば、ちょっと、くたびれた中年女医のある1日の物語である。
 みどり先生の家族を紹介すると、娘3人、夫今のところ1人、それと、あほウサギ2匹である。まあ、よくある家庭なのだ。
 朝、5時前に、みどり先生の愛用目覚ましが、りーんと、けたたましくなる。
 大あくびしながら、長女と次女の弁当作りが始まる。婦人科と東洋医学を担当するみどり先生にとって、食事作りは、とても、大切な子育てなのである。
 ここだけの話、とても、料理は下手で、苦手である。お料理をするというより、まるで、飼育係という感じがぷんぷんにおってくる。
 1人1人を、駅まで、送り、8時すぎに、やっと、1人になる。新聞も読む間なく、洗濯と、後かたづけをし、その後、朝から、夕食の準備にとりかかるみどり先生である。今日のメニューをのぞくと、なんと、冷しゃぶと煮物と小松菜のおひたし……いつもよりかなり、ましな献立である。
 さあ、9時、これから、午前診がはじまる、でも、少しお疲れの様子……どうするかと、思いきや、腹式呼吸開始、すーはー、すーはー、これで、かなり元気がでてくる。腹式呼吸は、呼気は、口から、吸気は、鼻からが、原則。後は、おへそに、力と、気持ちをおくだけ。
 この呼吸法は、うまく使うと、肩こり、頭痛にもきき、お金のかからないいい健康法である。また、大変な患者さんの診察の後にも、1人で、密かに、すーはー、すーはーしている。さすがやねえ……。
 昼休み、1度、自宅にもどり、夕方から塾にいく三女のお弁当、バス代、「お帰りなさい」から始まる手紙、そして、ご丁寧にも、おやつまで置いて、午後診に向かう。みどり先生の子供時代は、塾がよいもせず、遊びまわっていたのに、最近の子は、大変だ。学校帰り、誰もいない家に帰ってくる三女のことを、思うと、胸がいたむ。おやつたべて、愛情弁当もって、気つけて、いってらっしゃい……。
 午後診は、東洋医学の外来である。午前診の婦人科と異なり、舌診、脈診、腹診などの診察が、特徴である。みどり先生は、どちらかといえば、この診察法がすきなので、はりきって、治療しているようだ。東洋医学は、西洋医学と同様か、それ以上に、大切な分野なのだ。
 女性のいろんな悩み、悲しみ、苦しみを、いろいろな角度から、同じ目線で、みていく。
 とはいえ、六時すぎになると、さすがに、くたくたになっている。中年のサラリーマンのごとく、口をあけて、うたたねする帰り電車なのだ。
 こんな生活のどこがいいの?──といわれそうだ。でも、子供を産み、母乳で、育て、いっしょに、日なたぼっこしたり、絵本を読んだり……。こんなありふれたことが、今の診察にとても、役に立っている。長い人生、ひととき、コースをはずれ、時間に追われない生活を楽しむことは、決して、悪くないと思う。
 しかし、その当時は、第一線からはずれる悲しさ、あせり、後悔だけだった。
 20年という年月を経て、今、やっと、その良さがわかってきたようだ。
 中年女医みどり先生は、外見は、おばはんだが、心は、好奇心と、向上心のかたまりである、そこらの研修医には、負けてまへんわ。がんばれ中年、がんばれ女医……。