「生きることと死ぬこと」という薬

 「収容所にはまだ発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は五パーセントと見積もっていた。そして、そのことを人びとに告げた。わたしは、にもかかわらず私個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来 のことはだれにもわからないし、次の瞬間自分に何が起こるかさえわからないから だ」(「夜と霧」V・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房)

 これは、第二次世界大戦で、ナチスにとらわれ、日々死ぬことと向かい合わなければならなかった精神医学者V・E・フランクルの強制収容所での言葉です。
 医師である私たちは日々、病を抱えた人、病を気に病んでいる人たちをいかに治すか、いかに健康体にしなければいけないかを悩み、診察室に入っています。しかし、実は「健康とは何かということ、何のための健康かということ」が、患者さんばかりではなく、私たち自身も、いつの間にか意識の外になることが多いのではないでしょうか。
 「ナチスの収容所の発疹チフスより高い死亡率が私たちの寿命である」ということにまで、ふだん意識が及びません。私たちの死亡率は、哀しいことに100%ということにです。今向かい合っている患者さんに対して、こういう薬、こういう生活を、というアドバイスに気は走りますが、その一方ですっかり忘れてしまっていることがあります。「今、生きている」ということです。
 「つらいでしょうね。でも、生きてるんだから一生懸命生きましょうね。一緒にがんばりましょうね」という心に自然に立ち返れるとき、じっと患者さんの顔を見ると、いつの間にか処方する薬がいらなくなってしまっていることに、よく気づきます。「今生きているという現実」に向き合い、「必ず死ぬという未来」を頭に置き、「だから何ができるか、何をしなければいけないか」を日々、一瞬一瞬考えていくこと。それで心が通い合うのだと思います。
 「生きることと死ぬこと」、「一期一会」、わたしたちはこうした言葉を、大切だとは思っていても、薬局の店頭に並んでいるのを見るように「よく効きそうだな」「良さそうだな」という感覚しか、ふだんもてません。しかし薬は「服用」しなければ効き目がありません。
 医師である私たちも日々、こうした薬の「服用」をしっかり心に刻みつけておくべきではないでしょうか。そして、最後に私の好きな、忘れてはならないもう一つのことばは、フランクルの本の題名からです。『それでも人生にイエスと言う』。

ドリンク剤

 今年の3月中旬。インフルエンザの流行が遅くまであり、おまけに特効薬とされていた治療薬について様々な見解が出され、診察に、検査に、説明にと多忙な日々であった。
 昼に公務のあったある日、午後の診療が終了したのだが、まだ書類整理などの残務があり、長時間残業になる気配がして仕方なく駅前のコンビニへと走った。駅前のコンビニは少々狭いが、駅を利用する人や周辺のサラリーマン、OLがよく利用していていつ行っても混んでいる。そのせいかお客さんがぶつからないように一方通行になっていて、床には黒いテープで順路まで記してある。
 夜遅くなりそうなので、できるだけカロリーの少ない葱がたっぷり入ったそばとミネラルウォーターを籠に入れた。そして最後の一品、売れ行きの良いハウスのドリンク剤の「○○○の力」を取ろうとした。その時、スッと私と同じ年齢くらいの男性の手が視界に入った。彼が手にしたものは同じハウスの「うるおい○率」であった。思わず私と彼は目が合ってお互い苦笑いをした。ちらっと見た彼の籠には一人分のお弁当しかなく、紛れもなくそのドリンク剤は彼が飲むもののようであった。「普通、逆ですよね……」お互い目でそう語り合った気がする。気のせいか彼の肌のつや、張りのよさが感じられた。勿論彼がこの後、職場に戻って残業なのか、あるいは帰宅してゆっくり食事なのか、そこまではわからなかったが。
 労働安全衛生法による過重労働が法的に厳しくなり、多残業者の面接が厳しく言われているが、現在のところそれは労働者であり、個人事業主は当てはまらない。開設者である開業医は自分の身は自分で守らなければならない。仕事の時間や睡眠時間、食事の管理、心身の健康、そして少し憂鬱になるけれど老後の生活のことまで。それから忘れてはならない、女性としてのお手入れも。明日からしばらく私も同じハウスのドリンク剤である「うるおい○率」に替えてみようかな……、そう思った。

グッピー日記 第3のちから「奮闘力」

 いやな事はいや。苦手なことは苦手。少しは努力もした。時間もかけた。けれどやっぱり、いやな事はいや、苦手なことは苦手。できない事はできないのである。だったらそれを受け入れるしかない。これが自分自身だと諦め、納得するしかない。そして、こんな私と私は死ぬまで付き合う。付き合っていると結果が出る。どうもその結果が今であり、この人生を歩ませているのが「ぐうたら力」のようだ。
 いやだとか苦手だとかに理由をつけるのは難しい。直感的にいやであり苦手である。そう、私には、ぐうたら力以外に「直感力」がある。医者仲間からも私の直感力は認められている。この力を診察に発揮するとすごいと驚かれる。ただあまり直感がすごいと誉められると馬鹿にされているように感じる。お勉強はできないのにね。と後に続きそうで。
精神科専門医試験を受けたほうが良いと直感力が働き、ぐうたら力が小さくなった。
 でも試験を受けるのは、いやだ。だいたい試験に運もなく1度で受かることが少ない。ぐうたら力が強まってやる気が落ちるからだ。きっと。中学入試は失敗したし、高校も危なかった。もちろん大学も。自動車の免許も2回受けた。あんまり落ちるので両親はひどく心配していた。母は「家庭教師を付けよう、塾に行きなさい。」と言い、父は、「やればできるのだから。要領が悪いだけだ。」と慰めてくれていた。そういえば、珍しく医師国家試験は1回で受かった。ぐうたら力と直感力以外の何か違う力が働いたのか、すんなり合格した。第3の力。例えば、「火事場の馬鹿力」のようなやつが働いたらしい。ひとまず「奮闘力」と呼んでおこう。
 今度の専門医試験絶対に1回で受かるのだ。精神科医としてやってきたのに落ちるなんてことは許されない。しかしいまさら試験を受けろなんて学会も失礼なことをするものだ。冷静に考えると腹が立ってくる。大学のありかたが変わっていく過渡期のできごとと割り切ることにしても。試験に弱いからよけいに不愉快である。気を抜くと危ないので自分で自分のおしりを叩く。第3の力、奮闘力を出して絶対に1回で合格だ。
 1次試験は3症例をレポートにして提出。途中診断に迷いが出た症例があって悩んでいたら、七十代の大先輩に、「まだ専門医がいないのだからあなたの判断が専門医の判断でいいんじゃない。」と言われた。それもそうだと決断した。気負いすぎても失敗しやすい。緊張すると力も出し切れない。リラックス、リラックス。
 最近グッピーは元気でどんどん増えている。水槽の中で小さいの大きいの中ぐらいなのが行ったりきたり、上へ下へと泳ぎ回っているのを見るのは楽しい。猫や犬と違って撫でることができないけれど、水槽に手を入れると簡単にすくえる。夜店の金魚すくいより簡単にすくえる。うれしくなって独り言をいったりしていると肩の力が抜けていく。
 小さい物、かわいいもの、柔らかいものを見たり触ったりすると顔の表情も和らぐ。優しい顔、笑顔が出ると緊張もほぐれる。グッピーはかわいい。
 1次試験合格。ぐうたら力をぶっとばす強い力。第3の力が有効に働いた。良かった。
 次は2次試験。面接。面接会場は新大阪駅近くのホテル。早めに会場に行くことにした。いったい何を質問されるのだろうか。簡単な精神科の常識レベルと先輩は言っていたが、これが怖い。簡単なことは常識過ぎてうろ覚えだったりするから。「妄想とは?」、と質問されしどろもどろになりそうな、いやな緊張感が漂う。
 顔見知りの先輩達に会う。みんな院長だったり、部長だったり偉い人達だ。私が教えて頂いた先生方であるが、先生達も面接を受けるのだ。まさか落ちるようなことはあるまい。落とせないと思うが、先生達も一様に真剣であった。症例を集めるのが大変だったとか少し落ちるらしいとかひそひそと話す人、大きな声で幾分興奮ぎみに話す人、面接で聴かれそうなことなど情報交換が行われていた。いくつになっても試験会場の雰囲気は変わらない。時間になってみんな控え室に集められた。一人一人呼ばれては、係りの女性にエスコートされ面接室に連れて行かれる。面接が終わっても控え室に戻れず、そのまま帰らなければいけない。だから終わった人の面接内容は聴くことができない。本格的な面接試験に緊張感が高まった。いよいよ私の番だ。
 試験官は3人。提出したレポートからの質問だった。それは、うつ病のケースであった。印象をよくして謙虚に答えるつもりであったのに、試験官の一言が臨床への思いに火をつけてしまった。うつ病の性格についてのことだった。試験官の言うことには納得できかったし、その試験官はレポートを一部しか読んでいなかったため的外れな返答をした。面接を受けるほうは、自分をさらけ出されているのに、試験官は名前すら名乗らない。試験という対等でない場であるが、その試験官の資質を疑う状況にますます熱くなってしまった。しかし議論をしにきたのではないので、ここは丸く納めて平静になり気を静める方向へ話を持っていくことにした。熱くなって冷静になって面接は終わった。
 疲れた。レポートに取り掛かってから面接までの5ヵ月が終わった。面接がどんな結果になるのか分からないけれど、この5ヵ月、精神科を見直す良い機会になった。試験官に面接で思わず立ち向かってしまったけれど、自分のいままでの経験が無駄でなかったことを認識させてもらえた。自信がついた。
 気がかりな2ヵ月が過ぎた後、合格通知がきた。