ガレージの奥で

ガレージの奥は物でいっぱい。車一台分ぐらいあると思う。引越ししたときの荷物と、鳥が巣作りをするように家の中から持ち出してきた荷物。それに16年前の荷物。そのため、2台入るのに1台しか入れられない状態となっている。

奥に向かって右手に布団ダンス。その横にロッカー。左手には園芸用品と土や肥料。それに植木鉢。ダンボールが積み重ねてある。その奥に阪神淡路大震災の荷物がある。火鉢に七輪。練炭。墨。豆炭。

もったいない。捨てるのにお金もいる。狭くてゴチャゴチャしていると、気にはなっていたのだが、こんなにいっぱい溜め込んでしまった。こうなると簡単に片付けられない。手をつけないまま、ますます増えていく。ところがそれを、一気に処理するはめに陥った。

外圧がかかったのだ。簡単に言えば、ガレージの前の道路に駐車できなくなった、ということ。家の前に駐車できないとは。いろんな思いが頭に浮かび心を重くしたが、ここは、一念発起してガレージの片付けを実行することとした。外圧でもかからないと片付ける力は湧いてこないとも思ったし。前向きに良い機会ととら えて掃除に取り掛かることにした。やはり、近所でのトラブルは避けたい。こちらの言い分は胸にしまった。片付ければ、2台入るガレージなのだから、家の前に来客者の車を止める必要はないのだ。

必要な物は何? いらない物は業者に引き取ってもらうことにした。見積もりの時、分別しなくて良いといわれて、腑に落ちなかったけれど、当日その意味が分かった。日ごろせっせと分別してごみを出していたのに、木も焼き物も鉄もガラスも大きな箪笥やロッ カーまで装甲車のようなごみ収集車に5人がかりで投げ入れたら、その場で壊してしまった。そして、30分足らずで終わった。本当に分別する必要はなかった。今までもしていたし今もしているけれど、最後は、みんなゴミとしていっしょになるのなら分別はいらないと思う。

破壊の時の轟音で近所の人が驚いて外に出て来た。家を壊していると思われたかもしれない。そのような大音響だった。自分でも「わーわー」と意味不明の驚きの声が出た。これは本当に想定外のできごとだった。

ガレージの奥には、園芸の道具、水槽。そして炭、豆炭、練炭、火鉢、ポリタンク、青のビニールシートが残った。何年経っても忘れることのない、あの大地震。人間の弱さ頼りなさを自然に教えられた。そんな中でも生きていく叡智が自分を生かしてくれている。

阪神大震災の時、精神科救急に携わったので3ヵ月ほど病院の近くに住んでいた。最初の1週間は家にいた。家に電気は次の日に来たけれど、水は2ヵ月後でガスが来るのに3ヵ月かかった。家では、カセットコンロをおもに使ったようだが、練炭も使っていた。その残りが今、ガレージの奥にある。

震災後一度も使っていなかったので、いざという時のために火をつける練習をしておこうと思い立った。それに、今年の冬は寒かったので、からだだけではなく心底温まりたかった。炎を見ると気持ちまで温まりそうに思えたから、練炭を燃やしてみたかった。

「七輪に火を熾してその上に置きなさい」と母の助言。でも時間がかかりそうだったので直接ガスレンジに置いてみた。まったく火がつかない。待っていると白っぽい煙が上がり出し、練炭特有の臭いがし出した。ひょっとして一酸化炭素ガス? と不安になり出した時、警報装置が稼動した。警報音が鳴り出し、「換気をしてください」というアナウンスが始まった。慌てて外に持ち出す。警報機が正常に動くことが確認できたことは良かった。かなりしつこく鳴り響いたので本番でも役に立つと思う。しかしガスコンロで、それも家の中で火をつけるのは危険な行為であることがはっきりした。

それでは、やはり七輪で。でも、こんなに時間がかかったら、練炭での自殺は遂げられないと思う。もっと簡単なはず。おかしいと思いながらも七輪を熾し練炭を置いてみる。つかない、ガスコンロと同じ。火がつかない。うちわで扇いだりして、しばらく見ていると火の粉が飛び跳ねて練炭の上に落ちた。するとぱちぱち音をたてて燃え出した。 やっとついた。

わかりました。練炭には上下があって、燃えないほうの下に火をつけていたのだ。よく見ると、燃えるほうは密度が荒く上から1 センチほどは質感が違っている。昔の練炭と違い、この練炭はすぐつく練炭、着火型練炭でした。練炭の包みを探し出してみると、マッチ一本でつく着火型練炭、と大きく書いてあった。「家の中で着火しないでください」「ガスコンロに乗せないでください」「一酸化炭素中毒に注意」とも書いてありました。

12時間ほど燃えて、その間何度もお湯を沸かした。温かかった。赤い火をみていると気分が明るくなって、火がついているのがうれしかった。ただ、機密性の高い家では危ないかな、ガス中毒が。臭いも強いし。今日では、本当の非常時用かもしれない。

美容院でこの話をしたら、「石油ストーブのほうが安全だし使いやすいよ。」と言われた。でも、役に立つと思う。他の固形燃料も残しておくことにしよう。ポリタンクも火鉢もブルーシートも。

ガレージの奥に。

「生きることと死ぬこと」という薬

 「収容所にはまだ発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は五パーセントと見積もっていた。そして、そのことを人びとに告げた。わたしは、にもかかわらず私個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来 のことはだれにもわからないし、次の瞬間自分に何が起こるかさえわからないから だ」(「夜と霧」V・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房)

 これは、第二次世界大戦で、ナチスにとらわれ、日々死ぬことと向かい合わなければならなかった精神医学者V・E・フランクルの強制収容所での言葉です。
 医師である私たちは日々、病を抱えた人、病を気に病んでいる人たちをいかに治すか、いかに健康体にしなければいけないかを悩み、診察室に入っています。しかし、実は「健康とは何かということ、何のための健康かということ」が、患者さんばかりではなく、私たち自身も、いつの間にか意識の外になることが多いのではないでしょうか。
 「ナチスの収容所の発疹チフスより高い死亡率が私たちの寿命である」ということにまで、ふだん意識が及びません。私たちの死亡率は、哀しいことに100%ということにです。今向かい合っている患者さんに対して、こういう薬、こういう生活を、というアドバイスに気は走りますが、その一方ですっかり忘れてしまっていることがあります。「今、生きている」ということです。
 「つらいでしょうね。でも、生きてるんだから一生懸命生きましょうね。一緒にがんばりましょうね」という心に自然に立ち返れるとき、じっと患者さんの顔を見ると、いつの間にか処方する薬がいらなくなってしまっていることに、よく気づきます。「今生きているという現実」に向き合い、「必ず死ぬという未来」を頭に置き、「だから何ができるか、何をしなければいけないか」を日々、一瞬一瞬考えていくこと。それで心が通い合うのだと思います。
 「生きることと死ぬこと」、「一期一会」、わたしたちはこうした言葉を、大切だとは思っていても、薬局の店頭に並んでいるのを見るように「よく効きそうだな」「良さそうだな」という感覚しか、ふだんもてません。しかし薬は「服用」しなければ効き目がありません。
 医師である私たちも日々、こうした薬の「服用」をしっかり心に刻みつけておくべきではないでしょうか。そして、最後に私の好きな、忘れてはならないもう一つのことばは、フランクルの本の題名からです。『それでも人生にイエスと言う』。

ドリンク剤

 今年の3月中旬。インフルエンザの流行が遅くまであり、おまけに特効薬とされていた治療薬について様々な見解が出され、診察に、検査に、説明にと多忙な日々であった。
 昼に公務のあったある日、午後の診療が終了したのだが、まだ書類整理などの残務があり、長時間残業になる気配がして仕方なく駅前のコンビニへと走った。駅前のコンビニは少々狭いが、駅を利用する人や周辺のサラリーマン、OLがよく利用していていつ行っても混んでいる。そのせいかお客さんがぶつからないように一方通行になっていて、床には黒いテープで順路まで記してある。
 夜遅くなりそうなので、できるだけカロリーの少ない葱がたっぷり入ったそばとミネラルウォーターを籠に入れた。そして最後の一品、売れ行きの良いハウスのドリンク剤の「○○○の力」を取ろうとした。その時、スッと私と同じ年齢くらいの男性の手が視界に入った。彼が手にしたものは同じハウスの「うるおい○率」であった。思わず私と彼は目が合ってお互い苦笑いをした。ちらっと見た彼の籠には一人分のお弁当しかなく、紛れもなくそのドリンク剤は彼が飲むもののようであった。「普通、逆ですよね……」お互い目でそう語り合った気がする。気のせいか彼の肌のつや、張りのよさが感じられた。勿論彼がこの後、職場に戻って残業なのか、あるいは帰宅してゆっくり食事なのか、そこまではわからなかったが。
 労働安全衛生法による過重労働が法的に厳しくなり、多残業者の面接が厳しく言われているが、現在のところそれは労働者であり、個人事業主は当てはまらない。開設者である開業医は自分の身は自分で守らなければならない。仕事の時間や睡眠時間、食事の管理、心身の健康、そして少し憂鬱になるけれど老後の生活のことまで。それから忘れてはならない、女性としてのお手入れも。明日からしばらく私も同じハウスのドリンク剤である「うるおい○率」に替えてみようかな……、そう思った。