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2011年6月

JICAも結核も、みんな私を育てた仕事

6月1日、日本結核病学会に参加のため上京した國分恵子先生(特定非営利活動法人日本認知症予防研究所理事長)をつかまえ、おいしいお酒をご一緒に飲み、とくと語っていただきました。

とりたててドラッカーの話をしたわけではないのに、「なにごとも相手の立場に立ち、常にニーズに応える」姿勢に裏打ちされたお仕事ぶりに、保健師魂やマネジメントの真髄を強く感じた次第です。

武勇伝、いざ解禁!

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●目からウロコの公衆衛生看護

保健師になる前、病院の看護婦を経験した。その頃、なんで同じ患者さんが同じ病気で何度も入院してくるのだろうと不思議に思い、予防の視点を学びたくて保健婦学校に行った。

都立公衆衛生看護学院保健婦科での公衆衛生看護の講義は、目からウロコが落ちるほど面白く、刺激的で、たくさんの素晴らしい教えを受けた。駆け出しの頃は保健所で母子保健を担当した。昔は上司に叱られることなんてものともしない強者の先輩がいて、厳しく仕込まれたように思う。今は、そんな気骨のある人がいなくなってしまったようで寂しい。

●ネパールでの健康教育

自分の生誕40周年記念事業として、JICAの国際保健活動でネパールへ行った。実際のところ、5年間のプロジェクトを締めることが仕事だったけど。現地へ行くと、供与したビデオの機材は、ホコリをかぶってた。これじゃいけない、何かこれを使って成果物をつくらないとプロジェクトは終わらない。健康教育関連の成果品をつくろうと思った。

はじめ英語のパンフレットをつくる、と言われたのだけど、「ここで英語できる人、誰?」と思った。ネパール語でないと意味がない。何とか通訳の協力を得て、ネパール語で健康教育講師用教本と、全く文字が読めない住民のための絵だけの健康教育用パンフレットやポスターを作成した。私は、英語ができなかったので、それをとやかく言う人もいたけれど、「國分に期待しているのは英語力ではない」と応援してくれる人もいて、何とか乗り越えられた。日本に戻る時には、現地の人が 20人近くも空港に見送りに来てくれた。「ネパール語を学ぼうとしたのは國分だけだ」と言ってくれた人もいた。

現地ではネパール人のメイドを雇っていた。識字率の低い国だから、彼女も読み書きができなかった。門番として雇った軍人の男性に頼んで読み書きを教えてもらうようにした。ネパール語の読み書きができて、ミシンを買って洋裁ができるようになりたい、という希望があったようだ。家庭教師の費用は日本円で月千円くらい。全部こちらで出してはだめと思い、「半分出すけど、自分で残り半分出して勉強する?」と聞くと、「やる」というので、勉強が始まった。半年でマスターした。

そのほかは、一緒に生活する中で彼女に日本食のつくり方を教えた。コンニャクがつくれて豆腐がつくれるようになった。これですき焼きができる。味噌がつくれて、きちんと出汁もとれる。おまけに読み書きができる、こんなメイドは珍しいと言われて、現地滞在の日本人のメイドになって、どんどん良いお給料がとれるようになっていった。

●結核練習生、むずかしい患者とつきあう

結核に関わるようになったのは、ネパールから帰国後。石川県の保健所の予防課長の時。「結核がわからないから研修に出してください」と言ったら上司から叱られた。でも、3日間の夏季講習会があったのでそれに出た。講習後に120例をせっせと自分で整理してみたけど、どうにも整理のつかない人が20例残った。結核研究所の保健看護学科の学科長だったY先生に相談したら、Y先生とK先生のお二人が、私だけのために、丸々一日時間をとってくれて、わからない20例を一緒に考えてくれた。まず、「なぜ、あなたはこれに疑問を感じたか?」から始まり、ひとつひとつ一緒に丁寧にみていった。8時間ほどかかった。素晴らしい事例検討会だった。

そんなことがあったから、某温泉地でその筋の人が結核にかかり、当人から「家庭訪問を拒否する」と電話をかけてきた時、「ちょっと待って」と思った。菌を出しているという。しかもガフキー7号。職業は某温泉旅館の運転手で、温泉地のことゆえ遊興の地に客を運ぶ。

「私に会いたくない気持ちはよくわかる。けど、一回だけ会ってくれん?」と言って、某月某日、彼に指定された時刻に某所まで会いに行った。事情があって、つきあっているガールフレンドに知られると彼の身には危険が及ぶ。こちらとしては、もちろん、結核菌をばらまかれるのが何より困る。

じゃあ、私との約束を守って。きちんと薬を飲めば二週間で必ず咳は止まる。風邪をひいて熱があると言って咳が完全に止まるまで(概ね二週間)は仕事を休むこと。まじめに薬をきちんと飲むこと。彼女とは絶対に同室(床)しない。咳が出そうになったら窓をあけて戸外で咳をせよ。痰が出たらきちんと紙にとってすぐに燃やせ。受診したらその結果を報告せよ。等々の約束をした。「これを破ったら、アタシがクビになるのだから」という脅し文句を付け足すこともしっかりやった。

上司は医師だったから、もちろん「めちゃくちゃな保健指導だ!」と怒られたけど、「本人が入院を拒否している以上、どうすれば感染防止と治療の完結ができるかと考えなくては前に進まない」と主張した。彼(患者)も約束を守ってくれて、二週間で咳が止まり、服薬もしっかりやったようで、「今日、医者から治ったから薬を飲むのはもう良いって言われた」と報告の電話があったのは、初回面接から半年後のことだった。上司はこの報告に「あ〜そう」と答えただけだった。クビにならんで済んだ。やれやれ。

●精神の患者さん宅へも

精神保健活動についても、警察からの要請を受けて患者さんのお宅に行ったことがあった。包丁をもって家に閉じこもり、自分で自分を傷つけ、血が出たからびっくりして水の浴槽に入るものだから、よけいに血が出る。あ、こりゃ、出血多量になっちゃうと思って、管轄下の精神病院に電話した。「ベッドひとつ空けといて」「よっしゃ」と、手配しておいてから、玄関先で中に向かって「しんどいんとちがう?」と声をかけて、完全武装で居並ぶ警察官に「出して」とひとこと言ったら、たったの5〜10秒ほどで毛布にぐるぐるっと簀巻きにして、患者さんを家から出して病院に運んだ。

警察は、人質をとられているわけでもないから踏み込もうと思えばできるのだけど、患者さんを連れ出していいかどうかの判断を下すのは保健所職員の仕事。翌日、病院に訪ねていったら、まだ興奮状態だったけど、「あんたか、俺を助けてくれたのは」と言ってた。本人は、こわかったんだよね。(談)

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